善知鳥トンネル脇にある旧旧道
前回からの続き...
善知鳥前隧道に満足したあと向かい側に渡り隣の善知鳥トンネルわきにある、昭和8年に施工された善知鳥前隧道ができる前に使われていた海岸沿いの旧旧道へと向かいました。

浅虫側には首なしテトラがお出迎え♪

入り口は狭いですが急にひらけそこには「明治天皇御休所御跡」の碑があります。明治9年(1876)明治天皇東北巡幸の際にトンネルが開通したらしいがどこを探してもそれらしい場所はありません。

裏側。浅虫の隣は野内という所だけど、昔はここは野内村だったんですね。

そして、碑の前方を見ると旧旧道の石積みの路肩跡と思われるものが途中から崩れてはいるが残っていた。ここは二車線近く道幅が広いのです。入り口は狭いですが元々はこうだったのですね。

外側に回ってみました。白とびしていてごめんなさい。上は谷積、下は乱積というのでしょうか...

右前方に目をやると路肩の一部が今では素敵なオブジェの様にあるいは鳥たちの憩いの場として鎮座してます。
人前ではいえないが鴉かわいい。鴉のカップルが写真撮る前にイチャイチャしてました。いいナァー←オイオイ


今いる整備されている防波堤より一車線分ぐらいむこうにあってあんなに本来は道幅が広かったんだなと思わされます。でも、私の住んでいる八戸の海の波よりは穏やかだけど波しぶきに何十年とあたっているのに保っていて感心してしまいます。

そして、二つのトンネルがある岩山に目をやると、変わった鮮やかな黒とオレンジの岩に緑鮮やかな植物が絡まっていてかっこよくて惚れ惚れしてしばらく見惚れてしまった。私の写真だと分かりづらいけど。笑

誰かが絵具で塗りつぶしたんじゃないかと思うぐらい鮮やかだった。

終点。向こうにはさっきまでいた善知鳥前隧道青森側抗口がみえます。(ソイジョイ食べた所。笑)

そして、ここには善知鳥崎(うとうまい)の案内板がある。この二大険路の所想像すると足元がすくみそうになる。
そして、明治に創られたという隧道、その前文化年間にも岩中を開削された跡などはなく今では幻のようだ。

また、来た道を戻って下におりてみた。ここも鮮やかな全部オレンジと黒の岩が一面に広がっていて、怖いと思う人には怖いかもしれない。磯の香りいい匂い。向こう側に湯の島が見えます。亀の形にみえるんですよ。

こちらは青森方面側。先ほどの路肩跡が見えます。

そして、変なものがありまして道の下のほうに人工物の石積みの何かがあって、再度下に降りてみた所...

こんな風になっていまして、上に見えるのは先程あった途中で崩れている路肩跡なのですが、真ん中に穴があいているのです。


岩や砂がながれ込んでいて僅かな隙間を覗いてみると...

石積み自体は空洞の作り?になっていたのです。ただ、石積みの何かが崩れた部分に岩や砂が流れこんだ穴なのか、水路? まったく私にはわかりませんでした。


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善知鳥前隧道に満足したあと向かい側に渡り隣の善知鳥トンネルわきにある、昭和8年に施工された善知鳥前隧道ができる前に使われていた海岸沿いの旧旧道へと向かいました。

浅虫側には首なしテトラがお出迎え♪

入り口は狭いですが急にひらけそこには「明治天皇御休所御跡」の碑があります。明治9年(1876)明治天皇東北巡幸の際にトンネルが開通したらしいがどこを探してもそれらしい場所はありません。

裏側。浅虫の隣は野内という所だけど、昔はここは野内村だったんですね。

そして、碑の前方を見ると旧旧道の石積みの路肩跡と思われるものが途中から崩れてはいるが残っていた。ここは二車線近く道幅が広いのです。入り口は狭いですが元々はこうだったのですね。

外側に回ってみました。白とびしていてごめんなさい。上は谷積、下は乱積というのでしょうか...

右前方に目をやると路肩の一部が今では素敵なオブジェの様にあるいは鳥たちの憩いの場として鎮座してます。
人前ではいえないが鴉かわいい。鴉のカップルが写真撮る前にイチャイチャしてました。いいナァー←オイオイ


今いる整備されている防波堤より一車線分ぐらいむこうにあってあんなに本来は道幅が広かったんだなと思わされます。でも、私の住んでいる八戸の海の波よりは穏やかだけど波しぶきに何十年とあたっているのに保っていて感心してしまいます。

そして、二つのトンネルがある岩山に目をやると、変わった鮮やかな黒とオレンジの岩に緑鮮やかな植物が絡まっていてかっこよくて惚れ惚れしてしばらく見惚れてしまった。私の写真だと分かりづらいけど。笑

誰かが絵具で塗りつぶしたんじゃないかと思うぐらい鮮やかだった。

終点。向こうにはさっきまでいた善知鳥前隧道青森側抗口がみえます。(ソイジョイ食べた所。笑)

そして、ここには善知鳥崎(うとうまい)の案内板がある。この二大険路の所想像すると足元がすくみそうになる。
そして、明治に創られたという隧道、その前文化年間にも岩中を開削された跡などはなく今では幻のようだ。

また、来た道を戻って下におりてみた。ここも鮮やかな全部オレンジと黒の岩が一面に広がっていて、怖いと思う人には怖いかもしれない。磯の香りいい匂い。向こう側に湯の島が見えます。亀の形にみえるんですよ。

こちらは青森方面側。先ほどの路肩跡が見えます。

そして、変なものがありまして道の下のほうに人工物の石積みの何かがあって、再度下に降りてみた所...

こんな風になっていまして、上に見えるのは先程あった途中で崩れている路肩跡なのですが、真ん中に穴があいているのです。


岩や砂がながれ込んでいて僅かな隙間を覗いてみると...

石積み自体は空洞の作り?になっていたのです。ただ、石積みの何かが崩れた部分に岩や砂が流れこんだ穴なのか、水路? まったく私にはわかりませんでした。


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No title
ここ、普通の乗用車じゃ難しいですが、視点の高いトラックや
バス、バイクあたりだと例の石垣堤防が見えるんですよね。
はい、勿論チェック済みでありますw
余談ですが、実は善知鳥前隧道のそばにある通称:ホワイトハウスも
20年近く前に潜入したことがあります、既に結構崩れかけてましたが
1階部分はまだ建物の形を保っていた頃の話です。
バス、バイクあたりだと例の石垣堤防が見えるんですよね。
はい、勿論チェック済みでありますw
余談ですが、実は善知鳥前隧道のそばにある通称:ホワイトハウスも
20年近く前に潜入したことがあります、既に結構崩れかけてましたが
1階部分はまだ建物の形を保っていた頃の話です。
Re: No title
チェック済みでしたかwふふ(^^)
あそこに第3の明治期の隧道があったと記されていましたが本当にあったのでしょうか...
真相は闇の中です...
ホワイトハウスどんな感じだったのか今では全然覚えてません。
20年近く前で崩れていたのですね...今ではすごい状態でありますが^^;
あそこに第3の明治期の隧道があったと記されていましたが本当にあったのでしょうか...
真相は闇の中です...
ホワイトハウスどんな感じだったのか今では全然覚えてません。
20年近く前で崩れていたのですね...今ではすごい状態でありますが^^;