迦楼羅山荘 ①

(青南病院 初代院長千葉元氏の標語※写真は砂丘への足跡より)
八戸に「薬みたいなそっだらもんに頼って、医者がつとまるか!」と薬漬けを否定し体当たりで
芸術療法を模索した精神医がいました。
1934年11月八戸の精神病院、青南病院を開業するまで紆余曲折ありやっと開業するも最小単位の病院らしい
もので医師住宅がないまま6畳間の宿直室に院長親子5人が雑魚寝をしその中で患者と共にあるという連帯感、
親密度を感じたそうです。人間としての共感の中に温かい愛情の連帯感を表現するということが病気の根底に
切り込まれた根源的な治療の勝利だと考えたそうです。
その後も色んな障害があったそうですが病床数が増床していき作業療法の体系組織化に一応の自信を
つけ、新しい夢が生まれたそうです。「患者さん達に何かが出来る」と言う事が信じられたとき、創設の
精神の中で存在していた「患者さんと共にある生活」という夢が再燃されたそうです。
その夢が詰まった場所が今から紹介する、八戸の一番?有名な廃墟カローラ山荘こと迦楼羅山荘です。
ここは青南病院 初代院長千葉元氏の治療方針の開放療法(作業療法、生活療法、芸術療法、舞踏療法)をしながら
社会復帰の訓練をし自信をもたせるための山荘だったそうです。1964年9月に1300アールの広大な原始林の中を
院長家族、看護人、患者で開拓していったそうです。
今や八戸で精神病院といえば青南病院です。しかも大きい!
「いつの日にか私達はこの果てしない砂丘の中段の何処かで行倒れて砂に埋もれ死ぬ日がくるでしょう。
そして、その次の日に、一陣の風が吹いてくると、私達の生涯歩み続けてきたこの砂への足跡や
爪跡は、跡形もなくあっけなく消え去ってしまう事でありましょう。
そしてその時こそ本当に私達の休養出来る日が来ると思うのです。」と初代院長、千葉元氏が青南病院創立10周年
記念誌で言っている。千葉元氏は昭和59年4月に61歳で逝去している。
※この記事を書くにあたりアリス式海岸さんのブログで情報を得た千葉元氏追悼として刊行
された写真家羽永光利さんの写真集「砂丘への足跡」を参考、当時の写真など抜擢させて頂きました!
これから迦楼羅山荘にゆく前にこちらも…
この建物は【白い巻貝の砦】という患者海浜保養所でした。金浜海岸という八戸の豊かな海沿いに建てられて
いました。豊かな精神的環境の中で美術学校なみの制作をしていた患者さんたちの優秀な芸術作業作品を
展示しここで差別や偏見を持ちやすい地域の人達に適正な理解協力があれば通常の人間では追いつけない程立派な
才能を発揮するものである事を立証し誇示したかったそうです。
ここでは舞踏療法なども行なわれ、あの有名な舞踏家、石井満隆氏や宇野萬氏が来て指導したり、さまざまな
芸術家との親交があったそうで八戸在住の演出家、豊島重之氏と姉で舞踊家の故豊島和子氏の稽古などとしても
使われていたそうです。
ここで豊島和子さんの名前がでてくると思わなく驚きました。私は3歳から16歳までバレエを習っていたのですが
当時、八戸では私のいるバレエ教室か豊島さんのバレエ教室かという感じでいとこが豊島さんの所だったので
豊島さんの所の発表会を見ては私もこっちのバレエ教室の方がよかったーと毎度思ってました(笑)というただの
私事でした^^;
※ちなみに舞踊ではなく舞踏Butohとはバレエやモダンダンスの舞踊と区別するために「暗黒舞踏」と
称した。バレエなどと違って日本人独特の肉体感や風土感が独自のジャンルを確立させている。
土方巽が有名。

※1975年頃撮影されたと思われる【白い巻貝の砦】 「砂丘への足跡より」
こちらは患者さんたちの手で作られた【仔貝の砦】、右側に見えるのは八戸の海です。今現在はどちらも建物はなく
ブロック塀があるぐらいです。もしかしたら何か残ってるかも…今後も探してみようと思います。
この2枚の跡地など詳しくアリス式海岸さんのブログで見れますよ♪
http://alicesiki.blog.jp/archives/7540004.html

※写真は「砂丘への足跡」より
この2枚の場所は県道1号線沿いの八戸の海沿いにあって10年前ぐらいまでは白い像などまだあった記憶があります。
道路沿いから白い像などが木々の間にたくさん点在していたのを記憶していて初めて子供の頃見た時なんて異空間に
きたような夢の世界にきたような感じでワクワクしたのをよく覚えてます。今だに思い出しては夢の世界に行けます(笑)だから今でも八戸の海は私にとって異空間なドキドキする場所です。
ちなみになんで【白い巻貝の砦】という名前かというと「巻貝というものは、生まれて以来の自分の生長の歴史を
絶えず日常背負って生活し続けて居る。しかも現在の自分の大きさに加不足のない大きさの殻をクルクルと巻き
ながら無限に成長して行くんだ…即ちこのことは(自己の生活の歴史を正確に是認し)そして着実な(拡大努力)と
その(無限の可能性)潔白な激しい(現実吟味)等という崇高な人生を送るための哲学的な多くの命題を吾々に暗示
しているじゃないか…そして最も魅力あることは、それ(白い巻貝)がひどく文句なしに美しいと言う事なんだよ」
ということらしいです。
と前起きが長くなりましたがいよいよ!あの場所へ行ってみましょうか~(>_<)
ここが入り口です。この時8月だったから植物が生い茂りすぎてちょっと大変でした^^;

緑しかありませんがずーっと奥も左右も全部敷地です。今はなにがなんだか分からない状態です。
自分たちで開拓したこの土地も完全に自然に戻ろうとしています。鎌などで開拓していったようで
ここの噂で鎌をもったおばあさんが凄い勢いで追いかけてくるっていうのはそこから来てるのかも。

そのうちこの方が出迎えてくれます。

アップ♪

そして次に現れるのはこの廃車、院長の車だったんですかね。

こちらは昨年の2月に撮影したもの。ボンネットに意味深なロープ^^;

次は御堂がありました。これも昨年の2月のもの。

この写真上の所か!?とワクワクしたけどよく見たら違いますね…こういう風に山荘周辺に患者さんたちが作った
神様や石像がたくさん並べられていました。
なんだかここに来るとたくさんの石像や神仏、精神病院、開放療法から夢野久作の「ドグラ・マグラ」を
思い出すなーと思っていたらなんと映画の「ドグラ・マグラ」を病院の方で撮影する話があったらしい…

※写真は「砂丘への足跡」より
なにか見えてきましたよー!

ローマ庭園を模したアーチ型の柱
当時は明かりが並んで灯されていたそうです。その当時も異様な風景だったようです。

中心になにか見えますね!ここは後でのお楽しみです。


ぶたさん♪

にゃっ

ふふ♪

なんで君は此処へ来たのかね
「○○△××□」
ほほう…まあ、ゆっくりしたまえ
ただ…蚊には気をつけるのだぞ
???

あちこち建物があるのだけれど何がなんだかな状態です。今回は近づけるのだけ行ってみます。

廃バス


サウナ風呂らしいです(笑)

の裏側

ミニ教会
患者さんが復帰する社会が、現実に存在する地区社会である限り、精神病院の中には、全ての地区社会
の要素が縮図して存在して居らねばならぬということから色んなものを作ったそうです。

井戸

おトイレ(笑)

次はあそこへ~!蜘蛛の巣、植物絡まりまくり~

作業所のようですね。さっき言われた通り?ここの蚊の数が凄かったです…
カメラを持ってる手を集中攻撃されました…今思い出してもかゆくなりそう^^;

SINCE1986って見えるけど院長が1984年に亡くなってからも使われていたのですかね。

作業所の中に入ります。

美術制作途中のものが…
綿みたいなのが見えるけど羊を飼って毛を刈り曼荼羅のタピストリーを作っていたそうだけど…その毛??


薄れてしまってよく見えない写真がたくさんありました。

AIR MAIL

2:38になにが…


じゃがいも栽培の要点

ガマの聖談 ~人生に関する珍考漫考~



蚊がひどいのでもう退散!

次回はたくさんの裸体が出てくるのでおたのしみに(笑)
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