今は湖底に...石淵ダムと猿岩隧道(後編)
前回の続き...
私にはもう一つ絶対逢いに行かなきゃならないものがある。それは、石淵ダム上流右岸側にある、総延長696mの林鉄(若柳林鉄)由来の林道隧道の猿岩隧道である。標高549mの猿岩と呼ばれる小高い岩山を貫いている。1945年に石淵ダム工事の代替ルートとして掘削された。
隧道ができる前は「国有林森林鉄道 全データ 東北編」という本によると猿岩をぐるっと巻いて軌道が続いていたようです。1967年に廃線になったということは石淵ダムが1953年完成後も14年間は存続していたのですね。先ほどの本の地図を見てみると石淵ダムのダム湖では右岸にほとんど沿って軌道があり、水没した所が少なそうなので胆沢ダムができる前は林鉄遺構など目にすることができたんだろうな。探索してみたかった。
石淵ダムのロックフィル部は猿岩で採取された岩石をトロッコ軌道でダム堤体まで運び、ダム堤体と同じ位に築かれた橋の上から落とし岩石を積み上げていたそうなので、その際に猿岩隧道も使用されたのかな?だとすると、約60年後に完成した胆沢ダムの建設工事用道路としても使われたので2つのダム建設に携わっていたのだったらすごいなぁ。
でも本当は胆沢ダム堤体材として切り崩すことが決まっていたらしいがここは於呂閉志(おろへし)神社の奥宮が鎮座する民俗信仰の聖地であったことや胆沢扇状地は深刻な水問題に悩まされ、猿岩は苦難する人々を励ますように見守ってきたらしい。胆沢扇状地の歴史は水と猿岩を軸に展開してきたと言えるようだ。ということからこの奇岩を保存し建設省が堤体材を他に求めると発表したそうだ。こうゆう形で携わってほしくないから本当によかった。
もうほとんど水のない石淵湖に目をやると可愛い子発見!!さて、右岸側にどう行こうか猿岩隧道を見つめながら笑 左岸側をウロウロ。(この時はまだ堤体前の橋を行く勇気はなく)向こうに付け替え林道の新しい橋が見える。あそこを目指そう。と思い行ったが...



ここを抜けた先に付け替え林道があったがまだ出来ていないらしく立ち入り禁止ならまだしも監視カメラ作動中の看板見てビビりなぜかツブ沼キャンプ場まで行ってしまい一旦考え結局そそくさまた戻ったよ。

あーやっぱりここ↓通らなきゃ行けないよね。石淵ダムのロックフィルにも触れたいし…

と意を決して、また忍者のようにササッと通り、途中で石淵ダムに触れ、どっかで私の姿がチョロチョロ見えたら熊とでも思って下さいと願いながら。念願の右岸側へ到着。
途中で砂防ダムだけが私を見ていた。胆沢ダム本体の方から聞こえる重機の音はしだいに遠のいていき...

まっすぐ進むと左にちょっとカーブしている向こうには...ドキドキ
逢えたー逢えたよ!日曜日も工事真っ最中って見たから逢えないかもと思っていたから本当にうれしい。
と喜んだのも束の間この一枚を最後にカメラのバッテリーがなくなり(バカバカ自分っ)この後はアマダナのポケットビデオカメラの画像だからボヤボヤしてます。

こちら側の坑門はコンクリートでお化粧されています。扁額にもちゃんと猿岩隧道の文字があります。



まっすぐな隧道だからずーっと向こうに光が見えます。でも、長いから光が小さい。
ライトを準備していざ中へ。

最初だけコンクリート舗装ですが途中から出口までボコボコまるで体内のような荒々しい波打ったような岩肌の素掘りになります。このカメラじゃ伝えれなくてすごく残念。迫力がすごくライト照らしてもほとんど真っ暗でだんだん小走りに笑 でも、向こうに光が見えるからよかったけれど。目瞑って歩いてみたら自分がぎゅーっと小さくなるような感覚になった。
今はないがこの先に家があったらしいから毎日通っていたんだろうな。遠い目
そして、天井を照らしてみたシリーズ。


これは電線を通すための碍子の土台。

もうすぐ出口!

こちらの坑門は素掘りのままで私の好み。上にある岩のスケールが大きい。隧道が更に小さく見える。この強固な岩盤を少しずつ少しずつ堀り進んだ苦労は計り知れない。

素掘りでもこちら側もちゃんと扁額があった。

よし、帰ろう。さらに向こうにも行ってみたかったしここで佇んでいたかったけど、バスの時刻が近づきまた、この隧道を戻ることに。ちなみにこの隧道にも触れ暖かく感じた。
また、この隧道を戻らなきゃいけないのかと内心思ったが隧道内の途中から突然白い蝶が私の周りを飛んだあと前を左右に揺れながら飛んでいて、まるで光へと導いてくれているようで自然と笑顔になった。いや。猿岩隧道に近づいた時からニヤニヤしていたけど。
バイバイ、またいつか。今は猿岩隧道も湖底で眠っているが渇水期に顔だしてくれないかな。楽しみだ。
今、ネットで胆沢ダムのライブカメラ?を見たが猿岩隧道と石淵ダムの姿形がまったく見えない。なんとも言えない気持ちになった。
右岸側から見た石淵ダム。この時はダム工事で木や草など刈りはらわれていて向こう岸が丸見えだが、この辺は鬱蒼とした林道だったんだろうな。

そして、ゴール。帰りは大雨になってしまったが私の心は晴れやかだった。画像は石渕トンネル脇の道。

私が行った後日最後の石淵ダムウォーキングが開催されたらしいがその時くまさんが出たらしい。うぎゃー

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猿岩隧道の動画ありマス。ユラユラしているので気分を悪くしてしまうかも。
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私にはもう一つ絶対逢いに行かなきゃならないものがある。それは、石淵ダム上流右岸側にある、総延長696mの林鉄(若柳林鉄)由来の林道隧道の猿岩隧道である。標高549mの猿岩と呼ばれる小高い岩山を貫いている。1945年に石淵ダム工事の代替ルートとして掘削された。
隧道ができる前は「国有林森林鉄道 全データ 東北編」という本によると猿岩をぐるっと巻いて軌道が続いていたようです。1967年に廃線になったということは石淵ダムが1953年完成後も14年間は存続していたのですね。先ほどの本の地図を見てみると石淵ダムのダム湖では右岸にほとんど沿って軌道があり、水没した所が少なそうなので胆沢ダムができる前は林鉄遺構など目にすることができたんだろうな。探索してみたかった。
石淵ダムのロックフィル部は猿岩で採取された岩石をトロッコ軌道でダム堤体まで運び、ダム堤体と同じ位に築かれた橋の上から落とし岩石を積み上げていたそうなので、その際に猿岩隧道も使用されたのかな?だとすると、約60年後に完成した胆沢ダムの建設工事用道路としても使われたので2つのダム建設に携わっていたのだったらすごいなぁ。
でも本当は胆沢ダム堤体材として切り崩すことが決まっていたらしいがここは於呂閉志(おろへし)神社の奥宮が鎮座する民俗信仰の聖地であったことや胆沢扇状地は深刻な水問題に悩まされ、猿岩は苦難する人々を励ますように見守ってきたらしい。胆沢扇状地の歴史は水と猿岩を軸に展開してきたと言えるようだ。ということからこの奇岩を保存し建設省が堤体材を他に求めると発表したそうだ。こうゆう形で携わってほしくないから本当によかった。
もうほとんど水のない石淵湖に目をやると可愛い子発見!!さて、右岸側にどう行こうか猿岩隧道を見つめながら笑 左岸側をウロウロ。(この時はまだ堤体前の橋を行く勇気はなく)向こうに付け替え林道の新しい橋が見える。あそこを目指そう。と思い行ったが...



ここを抜けた先に付け替え林道があったがまだ出来ていないらしく立ち入り禁止ならまだしも監視カメラ作動中の看板見てビビりなぜかツブ沼キャンプ場まで行ってしまい一旦考え結局そそくさまた戻ったよ。

あーやっぱりここ↓通らなきゃ行けないよね。石淵ダムのロックフィルにも触れたいし…

と意を決して、また忍者のようにササッと通り、途中で石淵ダムに触れ、どっかで私の姿がチョロチョロ見えたら熊とでも思って下さいと願いながら。念願の右岸側へ到着。
途中で砂防ダムだけが私を見ていた。胆沢ダム本体の方から聞こえる重機の音はしだいに遠のいていき...

まっすぐ進むと左にちょっとカーブしている向こうには...ドキドキ
逢えたー逢えたよ!日曜日も工事真っ最中って見たから逢えないかもと思っていたから本当にうれしい。
と喜んだのも束の間この一枚を最後にカメラのバッテリーがなくなり(バカバカ自分っ)この後はアマダナのポケットビデオカメラの画像だからボヤボヤしてます。

こちら側の坑門はコンクリートでお化粧されています。扁額にもちゃんと猿岩隧道の文字があります。



まっすぐな隧道だからずーっと向こうに光が見えます。でも、長いから光が小さい。
ライトを準備していざ中へ。

最初だけコンクリート舗装ですが途中から出口までボコボコまるで体内のような荒々しい波打ったような岩肌の素掘りになります。このカメラじゃ伝えれなくてすごく残念。迫力がすごくライト照らしてもほとんど真っ暗でだんだん小走りに笑 でも、向こうに光が見えるからよかったけれど。目瞑って歩いてみたら自分がぎゅーっと小さくなるような感覚になった。
今はないがこの先に家があったらしいから毎日通っていたんだろうな。遠い目
そして、天井を照らしてみたシリーズ。


これは電線を通すための碍子の土台。

もうすぐ出口!

こちらの坑門は素掘りのままで私の好み。上にある岩のスケールが大きい。隧道が更に小さく見える。この強固な岩盤を少しずつ少しずつ堀り進んだ苦労は計り知れない。

素掘りでもこちら側もちゃんと扁額があった。

よし、帰ろう。さらに向こうにも行ってみたかったしここで佇んでいたかったけど、バスの時刻が近づきまた、この隧道を戻ることに。ちなみにこの隧道にも触れ暖かく感じた。
また、この隧道を戻らなきゃいけないのかと内心思ったが隧道内の途中から突然白い蝶が私の周りを飛んだあと前を左右に揺れながら飛んでいて、まるで光へと導いてくれているようで自然と笑顔になった。いや。猿岩隧道に近づいた時からニヤニヤしていたけど。
バイバイ、またいつか。今は猿岩隧道も湖底で眠っているが渇水期に顔だしてくれないかな。楽しみだ。
今、ネットで胆沢ダムのライブカメラ?を見たが猿岩隧道と石淵ダムの姿形がまったく見えない。なんとも言えない気持ちになった。
右岸側から見た石淵ダム。この時はダム工事で木や草など刈りはらわれていて向こう岸が丸見えだが、この辺は鬱蒼とした林道だったんだろうな。

そして、ゴール。帰りは大雨になってしまったが私の心は晴れやかだった。画像は石渕トンネル脇の道。

私が行った後日最後の石淵ダムウォーキングが開催されたらしいがその時くまさんが出たらしい。うぎゃー

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