喜和楽園温泉 内部編
今日は前回の続き...内部を探索します!
前回の焼失した建物の残っている右方向の部分を見ていきますね。
焼けた木材などぶらさがっている所をぬって行くとこの部分が現れました。

浴場でした!こちらは男湯。

蛇口の数に対してお風呂狭い気が...


他にも露天風呂とかいくつかあったのかな?これだけな訳ないよね...

窓の外にあるたくさんの竹を見ながら湯船に浸かっていたんでしょうね。

前回載せたプラッシーの缶だ!廃墟などでみる見たことないレトロな缶見つけるのって楽しい☆

こちらは女浴場。右上見てみて下さい。
女浴場の案内が厚紙に手書きなんですけど...何だろう...この虚しい感じ...^^;

あのお風呂の岩...女、男意識してるのかな...二戸の男神岩、女神岩のように
ヤバい完全に考えすぎですね(笑)

泉質:緩和低張性微温泉
浴用の適応症:リウマチ疾患・運動器障害・神経麻痺・神経圧・病気回復期・疲労回復

今度は向こう側に行ってみます。荒れまくってます...床を踏み外さないよに気をつけて。

プラッシー(;_:)

青森県らしく前のアオレンのアップルジュースが(笑)
その真ん中の素敵なネーミング「紅茶貴族」ってなにー!?あたし気に入ったー!ステキー
ちょっと調べてみたら明治乳業から昭和62年(1987)に販売されたものらしく他には「珈琲貴族」なるものもあったらしい。

愛の五つの誓い♪

わぁーわぁー!昔のスプライトとかファンタのレモンにアンバサとかアクエリアスとかー
しかも、空いてない缶ありますが勇気のある方いませんか?(笑)

ぽつんとあったロッキンチェアー


ここで一旦外に出れたので出た所この建物の隣に異様な雰囲気の民家が一軒...中を覗いた所物がそのまま残っている感じでこの黒電話だけ撮ってスルーしました。^^;
管理していた方の家だったのでしょうか。

古い消火器。

また、建物に戻ります。
さっきの民家を見たすぐにこの廊下に残っている物で何か面白いのがないかなーって見ていた所、何かと目があった...
そこにはものすごい凶悪な顔のついたおもちゃみたいなものが(その後ラグビーボールだと教えてもらいまた)...写真は撮ったけどすぐ消しました。^^;
さっきの民家で恐怖心を煽られ&凶悪ボールに震え上がって足取りが重くなったのは秘密。(笑)

先ほどのことは忘れて?ここで扉があったので中へ...

厨房でした。中はまーっくら!

棚をライトで照らしてみるとG〇B〇Nのスパイスやらドライイースト缶や

クリームチーズやトマト缶などの輸入食品が多数残っていて意外や意外、和食かと思っていましたが洋食のレストランだったようです。

この突きあたりにレストランがありますがそこをスルーして一旦外に出ます。

アスレチックがあったようです。
子供の頃アスレチック大好きだったなぁ。いつまでも遊んでた。

この階段の下にあるようですが見渡す限りもう草木だらけです。

この後行く唯一の見どころレストラン部分を見上げた。丸く高くあげられた建物でいい感じです。

キノコちゃん♪

この建物の下にいくつか扉があったので覗いてみます。

アスレチックの案内板が保管されていました。すごいたくさんあるけど案内の絵みてるだけで楽しそう。

アスレチックのためのたくさんのロープ。

あと一つの扉は真っ暗でタイヤの匂いがすごかった。

この奥は気持ち悪かったですよ。そこだけなぜか水が溜まってタチタチしていました。

この周辺を見ていたら...あらあらら(゜゜)
こんな所にいたのかいっ

いつも拝見させて頂いている方のブログでこのトムを知っていて建物内にいないなーと思っていたらここにいました。^^; 最近の強い風で飛ばされてのかしら...


次はいよいよ、戻ってレストラン部分に行きたいと思います。
レストランの店名はつくしんぼ☆

いらっしゃいませ♪

荒れてますがその中で鮮やかなオレンジのボードが映えてます。

一番の見どころ、先ほど見た丸い部分。
段々になっている照明がいい感じ。


カーテンが今日も踊っています。

こちらはカウンター部分。

さっきの写真は前撮った写真だけどカウンターの洗剤が無くなってる!

一か月の間に椅子も結構移動してるけど...強風で?
人だとしたらあまり物動かしてほしくないよ...

カウンターのランプはどうにか保っていてオレンジの目隠しボードがどれも割れていないのが唯一の救い。



窓の外を見たらトムさんが...横たわっていた...


ベランダに出てみた。
周りは草木だけ。ここでおにぎりを食す。おいしい♪

と思っていたら、でっかい蜂の巣を見つけてびっくり!蜂はいなそうだけど...

苔の緑色と椅子のオレンジ色と

廃墟にある椅子ってやっぱり愛おしい。

さて、帰ります。

何回もいいますがレストラン名は「TUKUSINBO」です。

外に地面に這うようにこの奇妙な植物がびっしり生えていた...

近くにあったカラフルな櫛引水管橋

-END-

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前回の焼失した建物の残っている右方向の部分を見ていきますね。
焼けた木材などぶらさがっている所をぬって行くとこの部分が現れました。

浴場でした!こちらは男湯。

蛇口の数に対してお風呂狭い気が...


他にも露天風呂とかいくつかあったのかな?これだけな訳ないよね...

窓の外にあるたくさんの竹を見ながら湯船に浸かっていたんでしょうね。

前回載せたプラッシーの缶だ!廃墟などでみる見たことないレトロな缶見つけるのって楽しい☆

こちらは女浴場。右上見てみて下さい。
女浴場の案内が厚紙に手書きなんですけど...何だろう...この虚しい感じ...^^;

あのお風呂の岩...女、男意識してるのかな...二戸の男神岩、女神岩のように
ヤバい完全に考えすぎですね(笑)

泉質:緩和低張性微温泉
浴用の適応症:リウマチ疾患・運動器障害・神経麻痺・神経圧・病気回復期・疲労回復

今度は向こう側に行ってみます。荒れまくってます...床を踏み外さないよに気をつけて。

プラッシー(;_:)

青森県らしく前のアオレンのアップルジュースが(笑)
その真ん中の素敵なネーミング「紅茶貴族」ってなにー!?あたし気に入ったー!ステキー
ちょっと調べてみたら明治乳業から昭和62年(1987)に販売されたものらしく他には「珈琲貴族」なるものもあったらしい。

愛の五つの誓い♪

わぁーわぁー!昔のスプライトとかファンタのレモンにアンバサとかアクエリアスとかー
しかも、空いてない缶ありますが勇気のある方いませんか?(笑)

ぽつんとあったロッキンチェアー


ここで一旦外に出れたので出た所この建物の隣に異様な雰囲気の民家が一軒...中を覗いた所物がそのまま残っている感じでこの黒電話だけ撮ってスルーしました。^^;
管理していた方の家だったのでしょうか。

古い消火器。

また、建物に戻ります。
さっきの民家を見たすぐにこの廊下に残っている物で何か面白いのがないかなーって見ていた所、何かと目があった...
そこにはものすごい凶悪な顔のついたおもちゃみたいなものが(その後ラグビーボールだと教えてもらいまた)...写真は撮ったけどすぐ消しました。^^;
さっきの民家で恐怖心を煽られ&凶悪ボールに震え上がって足取りが重くなったのは秘密。(笑)

先ほどのことは忘れて?ここで扉があったので中へ...

厨房でした。中はまーっくら!

棚をライトで照らしてみるとG〇B〇Nのスパイスやらドライイースト缶や

クリームチーズやトマト缶などの輸入食品が多数残っていて意外や意外、和食かと思っていましたが洋食のレストランだったようです。

この突きあたりにレストランがありますがそこをスルーして一旦外に出ます。

アスレチックがあったようです。
子供の頃アスレチック大好きだったなぁ。いつまでも遊んでた。

この階段の下にあるようですが見渡す限りもう草木だらけです。

この後行く唯一の見どころレストラン部分を見上げた。丸く高くあげられた建物でいい感じです。

キノコちゃん♪

この建物の下にいくつか扉があったので覗いてみます。

アスレチックの案内板が保管されていました。すごいたくさんあるけど案内の絵みてるだけで楽しそう。

アスレチックのためのたくさんのロープ。

あと一つの扉は真っ暗でタイヤの匂いがすごかった。

この奥は気持ち悪かったですよ。そこだけなぜか水が溜まってタチタチしていました。

この周辺を見ていたら...あらあらら(゜゜)
こんな所にいたのかいっ

いつも拝見させて頂いている方のブログでこのトムを知っていて建物内にいないなーと思っていたらここにいました。^^; 最近の強い風で飛ばされてのかしら...


次はいよいよ、戻ってレストラン部分に行きたいと思います。
レストランの店名はつくしんぼ☆

いらっしゃいませ♪

荒れてますがその中で鮮やかなオレンジのボードが映えてます。

一番の見どころ、先ほど見た丸い部分。
段々になっている照明がいい感じ。


カーテンが今日も踊っています。

こちらはカウンター部分。

さっきの写真は前撮った写真だけどカウンターの洗剤が無くなってる!

一か月の間に椅子も結構移動してるけど...強風で?
人だとしたらあまり物動かしてほしくないよ...

カウンターのランプはどうにか保っていてオレンジの目隠しボードがどれも割れていないのが唯一の救い。



窓の外を見たらトムさんが...横たわっていた...


ベランダに出てみた。
周りは草木だけ。ここでおにぎりを食す。おいしい♪

と思っていたら、でっかい蜂の巣を見つけてびっくり!蜂はいなそうだけど...

苔の緑色と椅子のオレンジ色と

廃墟にある椅子ってやっぱり愛おしい。

さて、帰ります。

何回もいいますがレストラン名は「TUKUSINBO」です。

外に地面に這うようにこの奇妙な植物がびっしり生えていた...

近くにあったカラフルな櫛引水管橋

-END-

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喜和楽園温泉 外部編
今日は八戸の温泉施設廃墟を行ってみましょう。
ここはいつから廃墟になったのか分かりません。大きい敷地ですが八戸市郊外の奥にあるので八戸市民皆知っているといっていい、有名廃墟ヘルセンやカローラ山荘(迦楼羅山荘)の様に以外に有名ではありません。
私は廃墟について調べるようになってから知りました。数年前、この廃墟でぼやがあり宿泊施設部分が焼けてしまいました。本当にむかつきます!その前に見てみたかった...
色々な噂があるようですが純粋に廃墟が見たい気持ちが勝ってしまうのでたとえ本当だとしても気にしないようにしています。よく一人でいくよね。信じられない!と言われますが誰も行く人がいないので仕方ありません。特に私は今車ないし女なので山やダムを見に歩くだけでもかなり皆に心配されてしまいます...ゴメンネ^^;
でも、この気持ちはどうしようもありません。が、こんな私にも初めて一緒に探索行ける人が出来るかもしれません。職場の先輩(女性)なのですがめずらしく廃墟など興味があるらしいです。大好きな趣味を共有できることは本当に嬉しいです!嬉しすぎて震えます(笑)もっと誰かと共有したいです。ブログを始めたのもその理由ですが、どうしていいかわかりません...ハハハ^^;
と、皆さんにはどうでもいい前置きが長くなりましたがその廃墟へ向かいましょうか。写真は今年の5月と6月が入り混じってます。(__)
喜和楽園温泉という施設です。

入り口。この鬱蒼とした奥にあります。道路からは建物はみえません。

藻だらけの人工の池。

誰の目にも触れない所にあった石碑。

施設の案内図。

この図の真ん中にある宿泊施設はぼやにより残っていません。これが残っていたら...ハァ~
廃墟を荒らしたり、火をつけたりすること本当に許せません。
この図を見るとたくさんの松が点在していたり梅の木や滝があったり巨岩があったり見どころのある大きい施設だったことがわかります。それなのに私の周りには行ったことがあるという人の話がありません。謎...初めて、職場の先輩のお母様は行ったことがあると聞きました。他にはアスレチックがあったりして小さい頃行っていたら好きな場所になっていたんだろうな。

この施設はレストラン部分。

このレストランの名前は「つくしんぼ」。この看板が寂しそうに裏返っていたので表に返したのは私です。(笑)

ミニチュアのおもちゃみたいにかわいいカラフルな自販機♪
手前の黄色い自販機【PLUSSYプラッシー】って初めて知ったんだけど、気になったのでネットで調べてみた。
武田食品(現ハウスウェルネスフーズ)が設立された(昭和32年)当初から、主として米穀店と自動販売機を中心に販売されていた飲料である。みかん果汁入り飲料にビタミンCをプラスしたことからそれに引っ掛けて「プラッシー」と命名された。後年にはオレンジのほかにトマトやグレープなどのバリエーションがあった。
競合商品の増加や瓶入り飲料の衰退、自家用車の普及による米の宅配の減少などにより販売数量も低迷したために1980年代に生産中止となった...そうです。
でも、復活を望む声などがあり1998年(平成10年)にリニューアル新発売されて、現在はニュープラッシーのみ販売しているらしい。今はコンビニとかスーパーなどでも販売しているみたいだけど、私初めてみたよ。^^;
どこに売ってるのーーー!?
アマゾンでも売ってるみたいだから今度頼んでみようかな。かわいいしおいしそう(>_<)
ってことはこの廃墟は1980年代に廃業したのかな...
ていうか、奥には緑の三ツ矢サイダーの自販機あるけど、赤 黄色 緑の順番だったら信号機だったのに...

ここは廃車がたくさん残っています。ここから廃車祭りに入ります♪

このまま行けば車内が植物園になりそう。

この奥にちょっと入り口見えてますが今は焼けてしまった建物があります。
そこに至る前に鎮座しておりますのは...

すごくかわいい小さな廃バイク。



喜和楽園温泉専用バス。

うっすら名前が見えますね。

内部~!

今にも動きだしそう(笑)

内部にあったデーリー東北。日付は1989年(平成元年)!
おっ!平成までは営業してた!?

これもかわいいショベルカー!おもちゃみたい!


自分の中での顔に見えるシリーズ!これはペンギンに見えた~

焼けた部分。

焼け残ったのは入り口部分ぐらい。

なんだかカオス状態になっております。

いちお、入り口なのでおじゃましまーす!(笑)

焼けた木材とか痛々しかった。この部分で唯一残っている螺旋階段。鉄は残るね。

では、次回はこの正面の右側の残っている所とレストランの内部など行ってみたいと思いまーす。

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ここはいつから廃墟になったのか分かりません。大きい敷地ですが八戸市郊外の奥にあるので八戸市民皆知っているといっていい、有名廃墟ヘルセンやカローラ山荘(迦楼羅山荘)の様に以外に有名ではありません。
私は廃墟について調べるようになってから知りました。数年前、この廃墟でぼやがあり宿泊施設部分が焼けてしまいました。本当にむかつきます!その前に見てみたかった...
色々な噂があるようですが純粋に廃墟が見たい気持ちが勝ってしまうのでたとえ本当だとしても気にしないようにしています。よく一人でいくよね。信じられない!と言われますが誰も行く人がいないので仕方ありません。特に私は今車ないし女なので山やダムを見に歩くだけでもかなり皆に心配されてしまいます...ゴメンネ^^;
でも、この気持ちはどうしようもありません。が、こんな私にも初めて一緒に探索行ける人が出来るかもしれません。職場の先輩(女性)なのですがめずらしく廃墟など興味があるらしいです。大好きな趣味を共有できることは本当に嬉しいです!嬉しすぎて震えます(笑)もっと誰かと共有したいです。ブログを始めたのもその理由ですが、どうしていいかわかりません...ハハハ^^;
と、皆さんにはどうでもいい前置きが長くなりましたがその廃墟へ向かいましょうか。写真は今年の5月と6月が入り混じってます。(__)
喜和楽園温泉という施設です。

入り口。この鬱蒼とした奥にあります。道路からは建物はみえません。

藻だらけの人工の池。

誰の目にも触れない所にあった石碑。

施設の案内図。

この図の真ん中にある宿泊施設はぼやにより残っていません。これが残っていたら...ハァ~
廃墟を荒らしたり、火をつけたりすること本当に許せません。
この図を見るとたくさんの松が点在していたり梅の木や滝があったり巨岩があったり見どころのある大きい施設だったことがわかります。それなのに私の周りには行ったことがあるという人の話がありません。謎...初めて、職場の先輩のお母様は行ったことがあると聞きました。他にはアスレチックがあったりして小さい頃行っていたら好きな場所になっていたんだろうな。

この施設はレストラン部分。

このレストランの名前は「つくしんぼ」。この看板が寂しそうに裏返っていたので表に返したのは私です。(笑)

ミニチュアのおもちゃみたいにかわいいカラフルな自販機♪
手前の黄色い自販機【PLUSSYプラッシー】って初めて知ったんだけど、気になったのでネットで調べてみた。
武田食品(現ハウスウェルネスフーズ)が設立された(昭和32年)当初から、主として米穀店と自動販売機を中心に販売されていた飲料である。みかん果汁入り飲料にビタミンCをプラスしたことからそれに引っ掛けて「プラッシー」と命名された。後年にはオレンジのほかにトマトやグレープなどのバリエーションがあった。
競合商品の増加や瓶入り飲料の衰退、自家用車の普及による米の宅配の減少などにより販売数量も低迷したために1980年代に生産中止となった...そうです。
でも、復活を望む声などがあり1998年(平成10年)にリニューアル新発売されて、現在はニュープラッシーのみ販売しているらしい。今はコンビニとかスーパーなどでも販売しているみたいだけど、私初めてみたよ。^^;
どこに売ってるのーーー!?
アマゾンでも売ってるみたいだから今度頼んでみようかな。かわいいしおいしそう(>_<)
ってことはこの廃墟は1980年代に廃業したのかな...
ていうか、奥には緑の三ツ矢サイダーの自販機あるけど、赤 黄色 緑の順番だったら信号機だったのに...

ここは廃車がたくさん残っています。ここから廃車祭りに入ります♪

このまま行けば車内が植物園になりそう。

この奥にちょっと入り口見えてますが今は焼けてしまった建物があります。
そこに至る前に鎮座しておりますのは...

すごくかわいい小さな廃バイク。



喜和楽園温泉専用バス。

うっすら名前が見えますね。

内部~!

今にも動きだしそう(笑)

内部にあったデーリー東北。日付は1989年(平成元年)!
おっ!平成までは営業してた!?

これもかわいいショベルカー!おもちゃみたい!


自分の中での顔に見えるシリーズ!これはペンギンに見えた~

焼けた部分。

焼け残ったのは入り口部分ぐらい。

なんだかカオス状態になっております。

いちお、入り口なのでおじゃましまーす!(笑)

焼けた木材とか痛々しかった。この部分で唯一残っている螺旋階段。鉄は残るね。

では、次回はこの正面の右側の残っている所とレストランの内部など行ってみたいと思いまーす。

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永下隧道
今日はむつ市にあります隧道をご紹介します。
この隧道の施工年は昭和16年(1941)です。ということは、太平洋戦争開始が同年の12月なので開戦直前か直後に施工された隧道ということになります。近くには大湊海軍があり戦争と軍と深い関係をもった隧道なのです。
隧道名は【永下隧道】といい戦時中、大湊海軍の毒ガス弾は全てこの【永下隧道】に保管し、終戦直前には特殊爆弾(毒ガス弾)60kg2000発が隧道内弾薬庫に保管されていたらしいです。
その毒ガス爆弾は終戦後いち早く陸奥湾の中央に投棄して今はもちろん隧道内にはありません。
他には強制労働があったなど色々ありそうですが今はこれしか分かりません。
まず、行ってみましょう。
国道338号をむつ市街から海上自衛隊の基地を横目に川内方面に向かうと左側にサンクスが見えてきます。その右側に【永下】というミニ標識がありますのでそこを道なりに進むと周りは草木だけのところに激動の時代を過ごした隧道はひっそりと余生を静かに過ごしておられます。

今は封鎖されていますが戦後はこの先に小さな集落があるらしく現道ができるまで一般道路として使われていたようです。

異様に周りにふきのとうが生えていたのが印象的でした。採って持って帰ったけどやっぱり苦くて苦手^^;←当たり前

扁額や銘板は見当たりませんでした。怖い時代を過ごした面影はなくこじんまりとしていて全然圧迫感がありません。

坑門も側壁も石積みです。


乱れ谷積みで笠石はブロック状の積み石が並べられています。

要石も迫石も残念ながら欠けていました。

坑門前に埋まっていたこれは何だろう...(・_・;)

ありゃ!?ありゃりゃ...あたし一人分のス キ マが...

それでは敬意を払い一礼してお邪魔いたします。延長は184mです。

内部はコンクリート巻き立てでした。

ゴミ一つ落ちてません。

坑口付近で一部水が染み出して中身が見えている箇所はありましたがまだまだ綺麗な状態です。


大湊側坑口を振り返る。


暗闇のなかで見えるものが!(ライト忘れた^^;) これは!まさかの弾薬庫跡なのかな。

ここにも!今気付いたけどアーチ右下に埋まってるものなんだろ...

そんなこんなで永下側坑口が近づいてきました。なんか地面がキラキラ光ってる?

水没してましたー。でも、気にしてられないので普通の靴のまま進みます。冷たっ!

光と影が織りなすプリズム。とても奇麗!でも足ビチャビチャ。汚い(笑)

もう、明かりを灯すことのない電灯が自然の明かりに灯されて...

永下側坑口からは出られませんのでまた戻って永下側坑門を望みたいと思います。

永下側坑門も同じ造りでした。


この隧道が最後まで静かに過ごせますように...おわり。

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この隧道の施工年は昭和16年(1941)です。ということは、太平洋戦争開始が同年の12月なので開戦直前か直後に施工された隧道ということになります。近くには大湊海軍があり戦争と軍と深い関係をもった隧道なのです。
隧道名は【永下隧道】といい戦時中、大湊海軍の毒ガス弾は全てこの【永下隧道】に保管し、終戦直前には特殊爆弾(毒ガス弾)60kg2000発が隧道内弾薬庫に保管されていたらしいです。
その毒ガス爆弾は終戦後いち早く陸奥湾の中央に投棄して今はもちろん隧道内にはありません。
他には強制労働があったなど色々ありそうですが今はこれしか分かりません。
まず、行ってみましょう。
国道338号をむつ市街から海上自衛隊の基地を横目に川内方面に向かうと左側にサンクスが見えてきます。その右側に【永下】というミニ標識がありますのでそこを道なりに進むと周りは草木だけのところに激動の時代を過ごした隧道はひっそりと余生を静かに過ごしておられます。

今は封鎖されていますが戦後はこの先に小さな集落があるらしく現道ができるまで一般道路として使われていたようです。

異様に周りにふきのとうが生えていたのが印象的でした。採って持って帰ったけどやっぱり苦くて苦手^^;←当たり前

扁額や銘板は見当たりませんでした。怖い時代を過ごした面影はなくこじんまりとしていて全然圧迫感がありません。

坑門も側壁も石積みです。


乱れ谷積みで笠石はブロック状の積み石が並べられています。

要石も迫石も残念ながら欠けていました。

坑門前に埋まっていたこれは何だろう...(・_・;)

ありゃ!?ありゃりゃ...あたし一人分のス キ マが...

それでは敬意を払い一礼してお邪魔いたします。延長は184mです。

内部はコンクリート巻き立てでした。

ゴミ一つ落ちてません。

坑口付近で一部水が染み出して中身が見えている箇所はありましたがまだまだ綺麗な状態です。


大湊側坑口を振り返る。


暗闇のなかで見えるものが!(ライト忘れた^^;) これは!まさかの弾薬庫跡なのかな。

ここにも!今気付いたけどアーチ右下に埋まってるものなんだろ...

そんなこんなで永下側坑口が近づいてきました。なんか地面がキラキラ光ってる?

水没してましたー。でも、気にしてられないので普通の靴のまま進みます。冷たっ!

光と影が織りなすプリズム。とても奇麗!でも足ビチャビチャ。汚い(笑)

もう、明かりを灯すことのない電灯が自然の明かりに灯されて...

永下側坑口からは出られませんのでまた戻って永下側坑門を望みたいと思います。

永下側坑門も同じ造りでした。


この隧道が最後まで静かに過ごせますように...おわり。

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湯田ダム
季節の変わり目でなのか体調を崩してしまったムーです。皆さまもこの時期の体調管理には気をつけてくださいませ(__)
では、今日は前回紹介した湯田貯砂ダムのあとに行った湯田ダムをご紹介しますね。
湯田ダムは岩手県の西和賀町にあります。国土交通省東北地方整備局が管理する特定多目的ダムで洪水調節と和賀川下流沿岸の農業用水の供給と発電最大出力5万3100kW、年間発生電力量2.3億kWhを生むダムであります。
戦時中は戦力増強と北上川の治水を目的に計画されたが戦後敗戦よりの立ち上がり時に洪水にたたかれた岩手南部の災害防除と国土開発ムードにより、北上特定地域の基幹事業として強力に推進されることになり、北上特定地域総合開発計画(KVA)に指定され、すでに胆沢川の石淵ダム!がほぼ完成し、猿ヶ石川の田瀬ダムが建設の最盛期を迎えていた昭和28年(1953)に北上川五大ダムの三番手として着工された。
ダムは当初は重力式コンクリートダムとして計画されたが昭和31年(1956)頃はアーチダム全盛時代だったそうでダム地点の基礎岩盤が堅固であることにより工事費削減の観点から湯田ダムもアーチ式の検討を始めたが鉱床帯や断層の存在によって岩盤が比較的堅固ではないことが判明し洪水時の水圧や地震に対する耐久性を強化するため最終的に「重力式アーチダム」なった。
着工から12年後の昭和40年(1965)に完成、構想発表からは実に27年を費やしての完成だった。ちなみにこのダムの形式は全国で12基しか存在しないそうです。
この大ダムが完成するかげには人口3200人の622世帯に及ぶ集団移転、さらに鉱業権24件、漁業権1件、水没発電所の水没補償等があり、公共補償として3ヶ所の駅の移転をともなう延長15kmの鉄道付替があり、延長13.3kmの国道付替、延長26.3kmの県村道の付替工事、60.5kmの送配電と電話線の付替工事があったそうです。また、15名の工事殉職者がいるそうです。私たちが便利に生活できるのも多大な関係者の方の犠牲の上で成り立っているのです。
ますます、感謝して自分なりに大切にしたいなと思う。私は岩手県に住んでるわけではないけれどどこかでこのダムの恩恵を受けていると思うし。
では、湯田ダムに向かいましょう。
前回の湯田貯砂ダムの最寄駅、ほっとゆだ駅から二駅目の和賀仙人駅に到着。
ちょっと時間が押している...湯田ダムに着くのが精一杯かも...

この駅は湯田ダム建設によりルートを変更して現在地になり平成11年に駅舎がリニューアルされたそうです。

駅前にあった廃自販機♪ 蔦がからんでデザインもかわいい~!

この地は仙人が棲んでいたという伝説があるらしく、まわりを見渡せば本当に棲んでいそうな背の高い山々が目の前に迫ってくる...
どんな道を歩くのか...歩道はあるのかとかすごく不安になってきた...^^;

廃墟だと思われる工場がありました。

途中、和賀仙人橋の旧橋があったけど帰りに撮ろう...
よかった!草が生えてるけど狭いけど歩道はありそうだ!
でも恐い!なんか恐い!雰囲気が!やっぱり戻りたい...でもせっかく来たのにの押し問答(笑)
この時の精神状態はヤバいです。書いてる今も心臓が痛くなってきた...ここを独りで歩いた人しか分からないと思いますが...
まわりは青森県では見ないような壁の様な山々に四方囲まれた峡谷にある二車線の道路なのに車の往来の結構激しいこと!それがとても恐かった。歩道は狭いし、草刈られてないし。もっと、広くして歩きやすいようにしてくれたらってこんなとこ歩く人稀か...
和賀仙人スノーシェルター...あー長そうだな...

こんなとこ歩いてごめんね。

結構勾配があって写真も斜め

二個目の真っ赤なスノーシェルター 上に草生えてる!


岩盤が飛び出してる!

三個目。蛇の死骸があってびっくりした。
途中歩道がない所があって心が折れそうになった。もう、着きたいよ。
なんで来ちゃったんだろう...虚しくなってきた。

と、自分に冷めざめしている間にドーンと湯田ダムに会えました!
見た瞬間テンションあがる♪ でも、時間ないし帰り暗くなって電車時間逃したらそれこそ恐怖!なので急いで見ました。

初めてみる憧れのアーチダム!でも、こんな大きいダムみたの初めてだからかっこいいっていうかちょっと怖いと思ってしまったのが正直な感想。
【湯田ダム概要】
堤高:89.5m
堤頂長:265.0m
流域面積:583.0km
湛水面積:630.0ha
総貯水容量:114,160,000m
ダム湖:錦秋湖

クレストには緑色の6門のラジアルゲート。

減勢工はスキージャンプ方式でここからの放流は凄まじいんだろうけど放流することはめったにないんだろうな...

後悔メモ①大好きな天端歩きたかった。

常用洪水吐のコンジットゲート しーんと静かでした...

船から見た湯田ダム堰き止めてます感が凄いんだろうな。

湯田ダム案内板

手前に見える建物が「きんしゅう湖ものしり館」で中でめずらしい非常用洪水吐のクレスト部からの放流の写真が見れるそうです。
後悔メモ②きんしゅう湖ものしり館見れなかった。
後悔メモ③ダムカード貰わなかった。

あーこのカーブがいい。


ダムの管理階段も好き。

これでもう戻らないと...いくつかの後悔を残しながら!かなりの不完全燃焼!

ていうか、もうあそこ歩きたくない...うす暗くなってきたし...
帰りは無心で尋常ではない足の速さで戻った(笑)もう、絶対一人でここを歩くことは二度とないでしょう(笑)

帰りに撮ろうと思っていた和賀仙人橋の旧橋撮りたかったのにそこに市の職員の方が立って私をじーと見ていたので撮れなくてもぅ!ほんとここイヤ!と思ってしまった。
ていうか、私が通りすぎるまでずーと見てましたけど、通報でもされたのだろうか...通りすぎたあと車に乗って行ったけど...一人女が下向いて歩いて自殺するんじゃないかとか!?ですかね。もぅ、歩きませんよーだ!
絶対絶対今度は車で来るんだ!この日もう一つ見たかった仙人隧道見れなかったし...他には鉱山跡とか美しい廃墟、旧和賀川発電所とかまだまだたくさんの遺構があるから何回でも来なきゃなぁ。
でも、その時は一人はやめよう...
駅前にあった1992年に閉校した廃校、仙人小学校。時間さえあれば...あーーー!この不完全燃焼感すごい

この校歌が深いこの地をよく表していると思った。

無事に駅舎に戻れてよかった。家に帰れる♪
恐怖から解放されたあと駅舎で飲んだエナジージムの味忘れないよ。おわり

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あっ、ゆらゆら帝国じゃなくてゆらゆら湯田ダムの動画でよかったら見てね☆
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では、今日は前回紹介した湯田貯砂ダムのあとに行った湯田ダムをご紹介しますね。
湯田ダムは岩手県の西和賀町にあります。国土交通省東北地方整備局が管理する特定多目的ダムで洪水調節と和賀川下流沿岸の農業用水の供給と発電最大出力5万3100kW、年間発生電力量2.3億kWhを生むダムであります。
戦時中は戦力増強と北上川の治水を目的に計画されたが戦後敗戦よりの立ち上がり時に洪水にたたかれた岩手南部の災害防除と国土開発ムードにより、北上特定地域の基幹事業として強力に推進されることになり、北上特定地域総合開発計画(KVA)に指定され、すでに胆沢川の石淵ダム!がほぼ完成し、猿ヶ石川の田瀬ダムが建設の最盛期を迎えていた昭和28年(1953)に北上川五大ダムの三番手として着工された。
ダムは当初は重力式コンクリートダムとして計画されたが昭和31年(1956)頃はアーチダム全盛時代だったそうでダム地点の基礎岩盤が堅固であることにより工事費削減の観点から湯田ダムもアーチ式の検討を始めたが鉱床帯や断層の存在によって岩盤が比較的堅固ではないことが判明し洪水時の水圧や地震に対する耐久性を強化するため最終的に「重力式アーチダム」なった。
着工から12年後の昭和40年(1965)に完成、構想発表からは実に27年を費やしての完成だった。ちなみにこのダムの形式は全国で12基しか存在しないそうです。
この大ダムが完成するかげには人口3200人の622世帯に及ぶ集団移転、さらに鉱業権24件、漁業権1件、水没発電所の水没補償等があり、公共補償として3ヶ所の駅の移転をともなう延長15kmの鉄道付替があり、延長13.3kmの国道付替、延長26.3kmの県村道の付替工事、60.5kmの送配電と電話線の付替工事があったそうです。また、15名の工事殉職者がいるそうです。私たちが便利に生活できるのも多大な関係者の方の犠牲の上で成り立っているのです。
ますます、感謝して自分なりに大切にしたいなと思う。私は岩手県に住んでるわけではないけれどどこかでこのダムの恩恵を受けていると思うし。
では、湯田ダムに向かいましょう。
前回の湯田貯砂ダムの最寄駅、ほっとゆだ駅から二駅目の和賀仙人駅に到着。
ちょっと時間が押している...湯田ダムに着くのが精一杯かも...

この駅は湯田ダム建設によりルートを変更して現在地になり平成11年に駅舎がリニューアルされたそうです。

駅前にあった廃自販機♪ 蔦がからんでデザインもかわいい~!

この地は仙人が棲んでいたという伝説があるらしく、まわりを見渡せば本当に棲んでいそうな背の高い山々が目の前に迫ってくる...
どんな道を歩くのか...歩道はあるのかとかすごく不安になってきた...^^;

廃墟だと思われる工場がありました。

途中、和賀仙人橋の旧橋があったけど帰りに撮ろう...
よかった!草が生えてるけど狭いけど歩道はありそうだ!
でも恐い!なんか恐い!雰囲気が!やっぱり戻りたい...でもせっかく来たのにの押し問答(笑)
この時の精神状態はヤバいです。書いてる今も心臓が痛くなってきた...ここを独りで歩いた人しか分からないと思いますが...
まわりは青森県では見ないような壁の様な山々に四方囲まれた峡谷にある二車線の道路なのに車の往来の結構激しいこと!それがとても恐かった。歩道は狭いし、草刈られてないし。もっと、広くして歩きやすいようにしてくれたらってこんなとこ歩く人稀か...
和賀仙人スノーシェルター...あー長そうだな...

こんなとこ歩いてごめんね。

結構勾配があって写真も斜め

二個目の真っ赤なスノーシェルター 上に草生えてる!


岩盤が飛び出してる!

三個目。蛇の死骸があってびっくりした。
途中歩道がない所があって心が折れそうになった。もう、着きたいよ。
なんで来ちゃったんだろう...虚しくなってきた。

と、自分に冷めざめしている間にドーンと湯田ダムに会えました!
見た瞬間テンションあがる♪ でも、時間ないし帰り暗くなって電車時間逃したらそれこそ恐怖!なので急いで見ました。

初めてみる憧れのアーチダム!でも、こんな大きいダムみたの初めてだからかっこいいっていうかちょっと怖いと思ってしまったのが正直な感想。
【湯田ダム概要】
堤高:89.5m
堤頂長:265.0m
流域面積:583.0km
湛水面積:630.0ha
総貯水容量:114,160,000m
ダム湖:錦秋湖

クレストには緑色の6門のラジアルゲート。

減勢工はスキージャンプ方式でここからの放流は凄まじいんだろうけど放流することはめったにないんだろうな...

後悔メモ①大好きな天端歩きたかった。

常用洪水吐のコンジットゲート しーんと静かでした...

船から見た湯田ダム堰き止めてます感が凄いんだろうな。

湯田ダム案内板

手前に見える建物が「きんしゅう湖ものしり館」で中でめずらしい非常用洪水吐のクレスト部からの放流の写真が見れるそうです。
後悔メモ②きんしゅう湖ものしり館見れなかった。
後悔メモ③ダムカード貰わなかった。

あーこのカーブがいい。


ダムの管理階段も好き。

これでもう戻らないと...いくつかの後悔を残しながら!かなりの不完全燃焼!

ていうか、もうあそこ歩きたくない...うす暗くなってきたし...
帰りは無心で尋常ではない足の速さで戻った(笑)もう、絶対一人でここを歩くことは二度とないでしょう(笑)

帰りに撮ろうと思っていた和賀仙人橋の旧橋撮りたかったのにそこに市の職員の方が立って私をじーと見ていたので撮れなくてもぅ!ほんとここイヤ!と思ってしまった。
ていうか、私が通りすぎるまでずーと見てましたけど、通報でもされたのだろうか...通りすぎたあと車に乗って行ったけど...一人女が下向いて歩いて自殺するんじゃないかとか!?ですかね。もぅ、歩きませんよーだ!
絶対絶対今度は車で来るんだ!この日もう一つ見たかった仙人隧道見れなかったし...他には鉱山跡とか美しい廃墟、旧和賀川発電所とかまだまだたくさんの遺構があるから何回でも来なきゃなぁ。
でも、その時は一人はやめよう...
駅前にあった1992年に閉校した廃校、仙人小学校。時間さえあれば...あーーー!この不完全燃焼感すごい

この校歌が深いこの地をよく表していると思った。

無事に駅舎に戻れてよかった。家に帰れる♪
恐怖から解放されたあと駅舎で飲んだエナジージムの味忘れないよ。おわり

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あっ、ゆらゆら帝国じゃなくてゆらゆら湯田ダムの動画でよかったら見てね☆
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