永下隧道
今日はむつ市にあります隧道をご紹介します。
この隧道の施工年は昭和16年(1941)です。ということは、太平洋戦争開始が同年の12月なので開戦直前か直後に施工された隧道ということになります。近くには大湊海軍があり戦争と軍と深い関係をもった隧道なのです。
隧道名は【永下隧道】といい戦時中、大湊海軍の毒ガス弾は全てこの【永下隧道】に保管し、終戦直前には特殊爆弾(毒ガス弾)60kg2000発が隧道内弾薬庫に保管されていたらしいです。
その毒ガス爆弾は終戦後いち早く陸奥湾の中央に投棄して今はもちろん隧道内にはありません。
他には強制労働があったなど色々ありそうですが今はこれしか分かりません。
まず、行ってみましょう。
国道338号をむつ市街から海上自衛隊の基地を横目に川内方面に向かうと左側にサンクスが見えてきます。その右側に【永下】というミニ標識がありますのでそこを道なりに進むと周りは草木だけのところに激動の時代を過ごした隧道はひっそりと余生を静かに過ごしておられます。

今は封鎖されていますが戦後はこの先に小さな集落があるらしく現道ができるまで一般道路として使われていたようです。

異様に周りにふきのとうが生えていたのが印象的でした。採って持って帰ったけどやっぱり苦くて苦手^^;←当たり前

扁額や銘板は見当たりませんでした。怖い時代を過ごした面影はなくこじんまりとしていて全然圧迫感がありません。

坑門も側壁も石積みです。


乱れ谷積みで笠石はブロック状の積み石が並べられています。

要石も迫石も残念ながら欠けていました。

坑門前に埋まっていたこれは何だろう...(・_・;)

ありゃ!?ありゃりゃ...あたし一人分のス キ マが...

それでは敬意を払い一礼してお邪魔いたします。延長は184mです。

内部はコンクリート巻き立てでした。

ゴミ一つ落ちてません。

坑口付近で一部水が染み出して中身が見えている箇所はありましたがまだまだ綺麗な状態です。


大湊側坑口を振り返る。


暗闇のなかで見えるものが!(ライト忘れた^^;) これは!まさかの弾薬庫跡なのかな。

ここにも!今気付いたけどアーチ右下に埋まってるものなんだろ...

そんなこんなで永下側坑口が近づいてきました。なんか地面がキラキラ光ってる?

水没してましたー。でも、気にしてられないので普通の靴のまま進みます。冷たっ!

光と影が織りなすプリズム。とても奇麗!でも足ビチャビチャ。汚い(笑)

もう、明かりを灯すことのない電灯が自然の明かりに灯されて...

永下側坑口からは出られませんのでまた戻って永下側坑門を望みたいと思います。

永下側坑門も同じ造りでした。


この隧道が最後まで静かに過ごせますように...おわり。

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この隧道の施工年は昭和16年(1941)です。ということは、太平洋戦争開始が同年の12月なので開戦直前か直後に施工された隧道ということになります。近くには大湊海軍があり戦争と軍と深い関係をもった隧道なのです。
隧道名は【永下隧道】といい戦時中、大湊海軍の毒ガス弾は全てこの【永下隧道】に保管し、終戦直前には特殊爆弾(毒ガス弾)60kg2000発が隧道内弾薬庫に保管されていたらしいです。
その毒ガス爆弾は終戦後いち早く陸奥湾の中央に投棄して今はもちろん隧道内にはありません。
他には強制労働があったなど色々ありそうですが今はこれしか分かりません。
まず、行ってみましょう。
国道338号をむつ市街から海上自衛隊の基地を横目に川内方面に向かうと左側にサンクスが見えてきます。その右側に【永下】というミニ標識がありますのでそこを道なりに進むと周りは草木だけのところに激動の時代を過ごした隧道はひっそりと余生を静かに過ごしておられます。

今は封鎖されていますが戦後はこの先に小さな集落があるらしく現道ができるまで一般道路として使われていたようです。

異様に周りにふきのとうが生えていたのが印象的でした。採って持って帰ったけどやっぱり苦くて苦手^^;←当たり前

扁額や銘板は見当たりませんでした。怖い時代を過ごした面影はなくこじんまりとしていて全然圧迫感がありません。

坑門も側壁も石積みです。


乱れ谷積みで笠石はブロック状の積み石が並べられています。

要石も迫石も残念ながら欠けていました。

坑門前に埋まっていたこれは何だろう...(・_・;)

ありゃ!?ありゃりゃ...あたし一人分のス キ マが...

それでは敬意を払い一礼してお邪魔いたします。延長は184mです。

内部はコンクリート巻き立てでした。

ゴミ一つ落ちてません。

坑口付近で一部水が染み出して中身が見えている箇所はありましたがまだまだ綺麗な状態です。


大湊側坑口を振り返る。


暗闇のなかで見えるものが!(ライト忘れた^^;) これは!まさかの弾薬庫跡なのかな。

ここにも!今気付いたけどアーチ右下に埋まってるものなんだろ...

そんなこんなで永下側坑口が近づいてきました。なんか地面がキラキラ光ってる?

水没してましたー。でも、気にしてられないので普通の靴のまま進みます。冷たっ!

光と影が織りなすプリズム。とても奇麗!でも足ビチャビチャ。汚い(笑)

もう、明かりを灯すことのない電灯が自然の明かりに灯されて...

永下側坑口からは出られませんのでまた戻って永下側坑門を望みたいと思います。

永下側坑門も同じ造りでした。


この隧道が最後まで静かに過ごせますように...おわり。

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からくり人形の里に行く途中にある橋 「安方橋」
今日は前回のからくり人形の里に行く途中にある橋をご紹介。
この橋は主要地方道45号十和田三戸線の猿辺川に架かっていて三戸町大字袴田字文治屋敷地内にあります。
その前に十和田側には味のあるバス亭と旧案内標識「白看」と現案内標識「青看」のコラボレーションが見れます。小さく奥にその橋が見えます。

あーーーっぷ!

じゃーーーん!橋の名前は「安方橋」といいます。写真は三戸側で前に撮った写真です。ややこしくてすみません^^;
この「安方橋」は昭和13年(1938年)に完成。橋長32,080m、全幅員6,1mの鉄筋コンクリートアーチ橋であります。

こちら側には案内板があった。なぜ、一見関係なく見える「安方」という名前なのか...案内板に由来が記してあったのでそのまま引用してみる。

~「安方橋」の名前の由来~
安方橋は伝えられるところによると青森市安方町の「安方」を取ったという。この橋の付近の地名は文治屋敷と宇藤坂。文治は公家で氏名は宇藤(善知鳥)文治安方という。この文治がえん罪を被り、青森市の善知鳥に流され、以来青森の開祖となる善知鳥・安方にちなみ「安方」の名がついたといわれる。
同じ青森県内でも遠い岩手県との境にある三戸と青森県の真ん中青森市の安方と善知鳥(前に紹介した善知鳥隧道のある場所)がこんなところでひっそり繋がっているなんて驚いた。
上の板の当時の旧い写真を拡大してみた。今考えて、同じ角度から過去と現在の写真を撮って見比べてみればよかった^^;

近い写真はこれかな...
親柱や小柱?はそのままのようであとは補修している。

昭和13年(1938年)に完成したこの橋は主要地方道45号十和田三戸線と一般県道143号南部田子線が交差し当時としては交通の要所に架けられた永久橋(鋼橋、コンクリート橋及び石橋のこと)で、当時のRc(鉄筋コンクリート)橋の多くが桁橋(単に横に架けられた桁によって橋面を支えるもので橋を支えるために特別な形状を用いない)であったことから非常に珍しい形式の橋梁だそう。
黒板に銅の文字の銘板と大きく立派な親柱が格好いい!!!

さすがに上の旧い写真にある親柱の上にあったたまねぎ坊主のような擬宝珠はなく残念...


いつまでこの素敵な橋は残っていてくれるのだろう...
完成から75年たっても現役で私たちを向こう側に通してくれる。そう思いながら通るともっと感慨深いです。

青森県ではあの忘れてはならない歴史の未成線鉄道遺構「旧大間鉄道二枚橋」などと並び戦前の橋の技術を伝える近代化遺産として保存する意義が非常に高い橋」とされ、そこで「安方橋」をアセットマネジメント長寿命化モデル工事県内第1号として指定されている。
将来にわたる維持コスト削減を図るとともに近代化遺産として将来にわたって保存することを目的とされている。


こちらは三戸側から。


なんか微妙に文字がずれている(笑)

先程のアセットマネジメント導入効果のイメージを県のホームページで説明しているので引用します。
ケース1…50年で架け替えをする。
ケース2…延命かのための補修を順次行っていき70年目には大規模な補修を行い最終的に100年までの長寿命化を図る。
その結果、橋の寿命を100年まで延ばすケース2の方がライフサイクルコストの縮減を図ることができたというイメージだそうです。
うんうん、いいね。いいものを直しながら長く使う。結果お金をあまり使わなくてすむ。とても、いいこと。貴重な橋たちを未来にも引き継いでいける。素敵です!
ただ、朽ちてゆくだけではやはり寂しいしそこで終わってしまう。たとえ、見た目が変わってもそこにあり続けてほしいです。
近くには他に旧国道4号の青岩橋や今だ現役の大正生まれの隧道、手倉橋隧道がありますよ。いずれ紹介したいと思います。
あとですね、近くの一ノ渡という所に面白い橋がありました!

ほら~!最初遭遇した時、真面目に欄干が崩れてきてると錯覚しましたがよく見るとこういうデザインでした(笑)びっくりしたー。

橋の名前はそのまんま「一ノ渡橋」です。

施工年は~? 昭和33年1月です。

こうやってみるとすごい傾いてる(>_<)
こんなひっそりした所にあるのが面白い。


この場所は上の「安方橋」から県道143号線を貝守方面に行くとありますよ。

ずっと残っていてほしい看板たち

-END-

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この橋は主要地方道45号十和田三戸線の猿辺川に架かっていて三戸町大字袴田字文治屋敷地内にあります。
その前に十和田側には味のあるバス亭と旧案内標識「白看」と現案内標識「青看」のコラボレーションが見れます。小さく奥にその橋が見えます。

あーーーっぷ!

じゃーーーん!橋の名前は「安方橋」といいます。写真は三戸側で前に撮った写真です。ややこしくてすみません^^;
この「安方橋」は昭和13年(1938年)に完成。橋長32,080m、全幅員6,1mの鉄筋コンクリートアーチ橋であります。

こちら側には案内板があった。なぜ、一見関係なく見える「安方」という名前なのか...案内板に由来が記してあったのでそのまま引用してみる。

~「安方橋」の名前の由来~
安方橋は伝えられるところによると青森市安方町の「安方」を取ったという。この橋の付近の地名は文治屋敷と宇藤坂。文治は公家で氏名は宇藤(善知鳥)文治安方という。この文治がえん罪を被り、青森市の善知鳥に流され、以来青森の開祖となる善知鳥・安方にちなみ「安方」の名がついたといわれる。
同じ青森県内でも遠い岩手県との境にある三戸と青森県の真ん中青森市の安方と善知鳥(前に紹介した善知鳥隧道のある場所)がこんなところでひっそり繋がっているなんて驚いた。
上の板の当時の旧い写真を拡大してみた。今考えて、同じ角度から過去と現在の写真を撮って見比べてみればよかった^^;

近い写真はこれかな...
親柱や小柱?はそのままのようであとは補修している。

昭和13年(1938年)に完成したこの橋は主要地方道45号十和田三戸線と一般県道143号南部田子線が交差し当時としては交通の要所に架けられた永久橋(鋼橋、コンクリート橋及び石橋のこと)で、当時のRc(鉄筋コンクリート)橋の多くが桁橋(単に横に架けられた桁によって橋面を支えるもので橋を支えるために特別な形状を用いない)であったことから非常に珍しい形式の橋梁だそう。
黒板に銅の文字の銘板と大きく立派な親柱が格好いい!!!

さすがに上の旧い写真にある親柱の上にあったたまねぎ坊主のような擬宝珠はなく残念...


いつまでこの素敵な橋は残っていてくれるのだろう...
完成から75年たっても現役で私たちを向こう側に通してくれる。そう思いながら通るともっと感慨深いです。

青森県ではあの忘れてはならない歴史の未成線鉄道遺構「旧大間鉄道二枚橋」などと並び戦前の橋の技術を伝える近代化遺産として保存する意義が非常に高い橋」とされ、そこで「安方橋」をアセットマネジメント長寿命化モデル工事県内第1号として指定されている。
将来にわたる維持コスト削減を図るとともに近代化遺産として将来にわたって保存することを目的とされている。


こちらは三戸側から。


なんか微妙に文字がずれている(笑)

先程のアセットマネジメント導入効果のイメージを県のホームページで説明しているので引用します。
ケース1…50年で架け替えをする。
ケース2…延命かのための補修を順次行っていき70年目には大規模な補修を行い最終的に100年までの長寿命化を図る。
その結果、橋の寿命を100年まで延ばすケース2の方がライフサイクルコストの縮減を図ることができたというイメージだそうです。
うんうん、いいね。いいものを直しながら長く使う。結果お金をあまり使わなくてすむ。とても、いいこと。貴重な橋たちを未来にも引き継いでいける。素敵です!
ただ、朽ちてゆくだけではやはり寂しいしそこで終わってしまう。たとえ、見た目が変わってもそこにあり続けてほしいです。
近くには他に旧国道4号の青岩橋や今だ現役の大正生まれの隧道、手倉橋隧道がありますよ。いずれ紹介したいと思います。
あとですね、近くの一ノ渡という所に面白い橋がありました!

ほら~!最初遭遇した時、真面目に欄干が崩れてきてると錯覚しましたがよく見るとこういうデザインでした(笑)びっくりしたー。

橋の名前はそのまんま「一ノ渡橋」です。

施工年は~? 昭和33年1月です。

こうやってみるとすごい傾いてる(>_<)
こんなひっそりした所にあるのが面白い。


この場所は上の「安方橋」から県道143号線を貝守方面に行くとありますよ。

ずっと残っていてほしい看板たち

-END-

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久慈 長内渓流周辺の旧道めぐり続き...遠川隧道
前回の続き...
謎の橋たちを見学したあと、途中何箇所かある旧道(旧道は全部長内川に沿う形でありました)を歩き現道の遠川トンネルが見えてきます。私は久慈方面からきて遠川トンネルの出口(岩泉方面坑口)の方から探索しました。
遠川隧道がある旧道入り口。積雪センサーなる装置がとおせんぼ。

最初こそアスファルトが見えているものの...すぐに

藪だらけになってきました。しかも倒木した木が道をふさいでいます。


廃道だぁー!わーいヽ(^o^)丿 ザ・道路構造物ガードレールがでてきました。

ここはわずかにアスファルトが見えます。遠川トンネルが平成8年(1996)に開通して廃道となり17年。

たった17年前には普通に県道として使われていたんだなー。自然の力は本当にすごい。人間の力なんてちっぽけだ。

ここで路肩弱しのミニ標識。まだ、かろうじて読めます。

振り返った所。


まだ、新しめの県道7号線の補助標識が自然に朽ちるのを待っている。でも、よく鮮やかでいるなぁ。

アスファルトが崩れています。ぐにゃんぐにゃんになってる。

途中からガードレールではなくなりワイヤー式のガードケーブルになります。

いよいよ、見えてきましたね。ここからは草木があまりないです。


坑口前に立つ前に激しく流れる長内川をどうぞ。

はい!遠川隧道のお出ましです。昭和8年(1933)施工(善知鳥前隧道と同い年!)延長は18m。

総石組み坑門です。素敵です。扁額はありません。

中は素掘りのようです。

では中に!ここで何が起こったのかっていうぐらい隧道付近からアスファルトがぐじゃぐじゃとひっくり返っています。端の白線も真ん中きちゃったり陥没してたり。地震の影響?それとも、川の氾濫?



この素掘りのごつごつ具合がたまらない。


ボキッと折れた道路境界標の岩手県の文字が下になっていたので上に向けておいた。笑

岩泉側坑口を振り返った所。

こちらは久慈側坑口。何の装飾もなく素掘りです。


で、この先の道がひどかったのです。大規模な崩落して道が完全に寸断されてるのです。

向こう側が遠い...(/_;)

ということで久慈側旧道入り口にワープしてきました。入り口はこんなんです。

こっちも最初は何もないけどだんだんと…

藪だらけに。岩泉側よりひどいような。でも、楽しい♪癖になる♪

デリネーターとあまり今は見かけないガードパイプ?

途中に有刺植物があって痛かった。(;_:)

急にひらけた!

落石防護柵を木が思いっきし突き破っています。

さっきの崩落地点の反対側に到着。道路が寸断されているのがわかりますか?

写真では伝わりにくいですね...


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これで長内渓流周辺の旧道めぐりは終わりですが、最後に遠川隧道の動画はどうですか?
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謎の橋たちを見学したあと、途中何箇所かある旧道(旧道は全部長内川に沿う形でありました)を歩き現道の遠川トンネルが見えてきます。私は久慈方面からきて遠川トンネルの出口(岩泉方面坑口)の方から探索しました。
遠川隧道がある旧道入り口。積雪センサーなる装置がとおせんぼ。

最初こそアスファルトが見えているものの...すぐに

藪だらけになってきました。しかも倒木した木が道をふさいでいます。


廃道だぁー!わーいヽ(^o^)丿 ザ・道路構造物ガードレールがでてきました。

ここはわずかにアスファルトが見えます。遠川トンネルが平成8年(1996)に開通して廃道となり17年。

たった17年前には普通に県道として使われていたんだなー。自然の力は本当にすごい。人間の力なんてちっぽけだ。

ここで路肩弱しのミニ標識。まだ、かろうじて読めます。

振り返った所。


まだ、新しめの県道7号線の補助標識が自然に朽ちるのを待っている。でも、よく鮮やかでいるなぁ。

アスファルトが崩れています。ぐにゃんぐにゃんになってる。

途中からガードレールではなくなりワイヤー式のガードケーブルになります。

いよいよ、見えてきましたね。ここからは草木があまりないです。


坑口前に立つ前に激しく流れる長内川をどうぞ。

はい!遠川隧道のお出ましです。昭和8年(1933)施工(善知鳥前隧道と同い年!)延長は18m。

総石組み坑門です。素敵です。扁額はありません。

中は素掘りのようです。

では中に!ここで何が起こったのかっていうぐらい隧道付近からアスファルトがぐじゃぐじゃとひっくり返っています。端の白線も真ん中きちゃったり陥没してたり。地震の影響?それとも、川の氾濫?



この素掘りのごつごつ具合がたまらない。


ボキッと折れた道路境界標の岩手県の文字が下になっていたので上に向けておいた。笑

岩泉側坑口を振り返った所。

こちらは久慈側坑口。何の装飾もなく素掘りです。


で、この先の道がひどかったのです。大規模な崩落して道が完全に寸断されてるのです。

向こう側が遠い...(/_;)

ということで久慈側旧道入り口にワープしてきました。入り口はこんなんです。

こっちも最初は何もないけどだんだんと…

藪だらけに。岩泉側よりひどいような。でも、楽しい♪癖になる♪

デリネーターとあまり今は見かけないガードパイプ?

途中に有刺植物があって痛かった。(;_:)

急にひらけた!

落石防護柵を木が思いっきし突き破っています。

さっきの崩落地点の反対側に到着。道路が寸断されているのがわかりますか?

写真では伝わりにくいですね...


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これで長内渓流周辺の旧道めぐりは終わりですが、最後に遠川隧道の動画はどうですか?
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久慈 長内渓流周辺の旧道めぐり
今日は久慈市長内渓流周辺の県道7号久慈岩泉線の旧道隧道をご紹介。
八戸からは海の見えるダム、滝ダム(いつか紹介します)を横目に進み滝トンネル出口すぐに今は遊覧船乗り場まで行く道が一つ目紹介する旧道です。展望台から二つの隧道がみえます。

では、下(旧道部分)に降りてみます。遊覧船乗り場に至る所なのでガードレールは茶色いし道はきれいすぎます。^^;

下を見ると渓流の勢いが激しいです。ここは紅葉の時期などいい眺めになりそうです。

すぐに一つ目の隧道現れます。大滝第一隧道だそうです。

その前に荒々しい岩盤。高くて首が痛い。笑

岩泉側坑口前。素掘りにコンクリート吹きつけです。なんだか、あまりにもきれいすぎる。でも、遊覧船乗り場に至る道だから仕方ないのか...


小さくて短い隧道。内部。すごく頑丈そう。

出口からもう二つ目の隧道が見えます。

こちらは久慈側坑口。

で、先ほど見えていた大滝第二隧道。こちらは第一より荒々しい感じです。

この車でどこいくんだろう。

久慈側坑口前。これだと、圧迫感ないし遊覧船にのりにきた子供でも怖くないだろうね。

その先の旧道は当然ダム湖に吸収されています。見えるのは屋形船。

ここをさらに岩泉方面に進み次の探索場所に行く途中にあった謎の橋たちがあった。車は通れない狭い赤い鉄橋で向いの民家のための橋らしく華奢な欄干に小さなポストがあった。急に季節は変わりました。笑

横に回ってみると...橋脚もまた華奢でミニ?上路式トラス橋だった。


さらに進んだ所にあと一つあってなんとも痛々しい継ぎはぎだらけの橋があった。橋桁たちは流れてしまったのか...そういえば、下に橋桁らしきものがおちていたなぁ。←なんで写真撮らなかったんだろう。

向こうには一軒の民家があったからそこの住人の方が直したのか...写真撮っていたらそこの住人の方にじーっとみられていた^^; 今にも崩れてしまいそうなか弱い橋。



一部たちがなくなってもなお橋であり続けようとする姿に思わず呟いた。頑張ってねって...←えっ?
まだ、続くよ。

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八戸からは海の見えるダム、滝ダム(いつか紹介します)を横目に進み滝トンネル出口すぐに今は遊覧船乗り場まで行く道が一つ目紹介する旧道です。展望台から二つの隧道がみえます。

では、下(旧道部分)に降りてみます。遊覧船乗り場に至る所なのでガードレールは茶色いし道はきれいすぎます。^^;

下を見ると渓流の勢いが激しいです。ここは紅葉の時期などいい眺めになりそうです。

すぐに一つ目の隧道現れます。大滝第一隧道だそうです。

その前に荒々しい岩盤。高くて首が痛い。笑

岩泉側坑口前。素掘りにコンクリート吹きつけです。なんだか、あまりにもきれいすぎる。でも、遊覧船乗り場に至る道だから仕方ないのか...


小さくて短い隧道。内部。すごく頑丈そう。

出口からもう二つ目の隧道が見えます。

こちらは久慈側坑口。

で、先ほど見えていた大滝第二隧道。こちらは第一より荒々しい感じです。

この車でどこいくんだろう。

久慈側坑口前。これだと、圧迫感ないし遊覧船にのりにきた子供でも怖くないだろうね。

その先の旧道は当然ダム湖に吸収されています。見えるのは屋形船。

ここをさらに岩泉方面に進み次の探索場所に行く途中にあった謎の橋たちがあった。車は通れない狭い赤い鉄橋で向いの民家のための橋らしく華奢な欄干に小さなポストがあった。急に季節は変わりました。笑

横に回ってみると...橋脚もまた華奢でミニ?上路式トラス橋だった。


さらに進んだ所にあと一つあってなんとも痛々しい継ぎはぎだらけの橋があった。橋桁たちは流れてしまったのか...そういえば、下に橋桁らしきものがおちていたなぁ。←なんで写真撮らなかったんだろう。

向こうには一軒の民家があったからそこの住人の方が直したのか...写真撮っていたらそこの住人の方にじーっとみられていた^^; 今にも崩れてしまいそうなか弱い橋。



一部たちがなくなってもなお橋であり続けようとする姿に思わず呟いた。頑張ってねって...←えっ?
まだ、続くよ。

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善知鳥トンネル脇にある旧旧道
前回からの続き...
善知鳥前隧道に満足したあと向かい側に渡り隣の善知鳥トンネルわきにある、昭和8年に施工された善知鳥前隧道ができる前に使われていた海岸沿いの旧旧道へと向かいました。

浅虫側には首なしテトラがお出迎え♪

入り口は狭いですが急にひらけそこには「明治天皇御休所御跡」の碑があります。明治9年(1876)明治天皇東北巡幸の際にトンネルが開通したらしいがどこを探してもそれらしい場所はありません。

裏側。浅虫の隣は野内という所だけど、昔はここは野内村だったんですね。

そして、碑の前方を見ると旧旧道の石積みの路肩跡と思われるものが途中から崩れてはいるが残っていた。ここは二車線近く道幅が広いのです。入り口は狭いですが元々はこうだったのですね。

外側に回ってみました。白とびしていてごめんなさい。上は谷積、下は乱積というのでしょうか...

右前方に目をやると路肩の一部が今では素敵なオブジェの様にあるいは鳥たちの憩いの場として鎮座してます。
人前ではいえないが鴉かわいい。鴉のカップルが写真撮る前にイチャイチャしてました。いいナァー←オイオイ


今いる整備されている防波堤より一車線分ぐらいむこうにあってあんなに本来は道幅が広かったんだなと思わされます。でも、私の住んでいる八戸の海の波よりは穏やかだけど波しぶきに何十年とあたっているのに保っていて感心してしまいます。

そして、二つのトンネルがある岩山に目をやると、変わった鮮やかな黒とオレンジの岩に緑鮮やかな植物が絡まっていてかっこよくて惚れ惚れしてしばらく見惚れてしまった。私の写真だと分かりづらいけど。笑

誰かが絵具で塗りつぶしたんじゃないかと思うぐらい鮮やかだった。

終点。向こうにはさっきまでいた善知鳥前隧道青森側抗口がみえます。(ソイジョイ食べた所。笑)

そして、ここには善知鳥崎(うとうまい)の案内板がある。この二大険路の所想像すると足元がすくみそうになる。
そして、明治に創られたという隧道、その前文化年間にも岩中を開削された跡などはなく今では幻のようだ。

また、来た道を戻って下におりてみた。ここも鮮やかな全部オレンジと黒の岩が一面に広がっていて、怖いと思う人には怖いかもしれない。磯の香りいい匂い。向こう側に湯の島が見えます。亀の形にみえるんですよ。

こちらは青森方面側。先ほどの路肩跡が見えます。

そして、変なものがありまして道の下のほうに人工物の石積みの何かがあって、再度下に降りてみた所...

こんな風になっていまして、上に見えるのは先程あった途中で崩れている路肩跡なのですが、真ん中に穴があいているのです。


岩や砂がながれ込んでいて僅かな隙間を覗いてみると...

石積み自体は空洞の作り?になっていたのです。ただ、石積みの何かが崩れた部分に岩や砂が流れこんだ穴なのか、水路? まったく私にはわかりませんでした。


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善知鳥前隧道に満足したあと向かい側に渡り隣の善知鳥トンネルわきにある、昭和8年に施工された善知鳥前隧道ができる前に使われていた海岸沿いの旧旧道へと向かいました。

浅虫側には首なしテトラがお出迎え♪

入り口は狭いですが急にひらけそこには「明治天皇御休所御跡」の碑があります。明治9年(1876)明治天皇東北巡幸の際にトンネルが開通したらしいがどこを探してもそれらしい場所はありません。

裏側。浅虫の隣は野内という所だけど、昔はここは野内村だったんですね。

そして、碑の前方を見ると旧旧道の石積みの路肩跡と思われるものが途中から崩れてはいるが残っていた。ここは二車線近く道幅が広いのです。入り口は狭いですが元々はこうだったのですね。

外側に回ってみました。白とびしていてごめんなさい。上は谷積、下は乱積というのでしょうか...

右前方に目をやると路肩の一部が今では素敵なオブジェの様にあるいは鳥たちの憩いの場として鎮座してます。
人前ではいえないが鴉かわいい。鴉のカップルが写真撮る前にイチャイチャしてました。いいナァー←オイオイ


今いる整備されている防波堤より一車線分ぐらいむこうにあってあんなに本来は道幅が広かったんだなと思わされます。でも、私の住んでいる八戸の海の波よりは穏やかだけど波しぶきに何十年とあたっているのに保っていて感心してしまいます。

そして、二つのトンネルがある岩山に目をやると、変わった鮮やかな黒とオレンジの岩に緑鮮やかな植物が絡まっていてかっこよくて惚れ惚れしてしばらく見惚れてしまった。私の写真だと分かりづらいけど。笑

誰かが絵具で塗りつぶしたんじゃないかと思うぐらい鮮やかだった。

終点。向こうにはさっきまでいた善知鳥前隧道青森側抗口がみえます。(ソイジョイ食べた所。笑)

そして、ここには善知鳥崎(うとうまい)の案内板がある。この二大険路の所想像すると足元がすくみそうになる。
そして、明治に創られたという隧道、その前文化年間にも岩中を開削された跡などはなく今では幻のようだ。

また、来た道を戻って下におりてみた。ここも鮮やかな全部オレンジと黒の岩が一面に広がっていて、怖いと思う人には怖いかもしれない。磯の香りいい匂い。向こう側に湯の島が見えます。亀の形にみえるんですよ。

こちらは青森方面側。先ほどの路肩跡が見えます。

そして、変なものがありまして道の下のほうに人工物の石積みの何かがあって、再度下に降りてみた所...

こんな風になっていまして、上に見えるのは先程あった途中で崩れている路肩跡なのですが、真ん中に穴があいているのです。


岩や砂がながれ込んでいて僅かな隙間を覗いてみると...

石積み自体は空洞の作り?になっていたのです。ただ、石積みの何かが崩れた部分に岩や砂が流れこんだ穴なのか、水路? まったく私にはわかりませんでした。


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