湯田ダム
季節の変わり目でなのか体調を崩してしまったムーです。皆さまもこの時期の体調管理には気をつけてくださいませ(__)
では、今日は前回紹介した湯田貯砂ダムのあとに行った湯田ダムをご紹介しますね。
湯田ダムは岩手県の西和賀町にあります。国土交通省東北地方整備局が管理する特定多目的ダムで洪水調節と和賀川下流沿岸の農業用水の供給と発電最大出力5万3100kW、年間発生電力量2.3億kWhを生むダムであります。
戦時中は戦力増強と北上川の治水を目的に計画されたが戦後敗戦よりの立ち上がり時に洪水にたたかれた岩手南部の災害防除と国土開発ムードにより、北上特定地域の基幹事業として強力に推進されることになり、北上特定地域総合開発計画(KVA)に指定され、すでに胆沢川の石淵ダム!がほぼ完成し、猿ヶ石川の田瀬ダムが建設の最盛期を迎えていた昭和28年(1953)に北上川五大ダムの三番手として着工された。
ダムは当初は重力式コンクリートダムとして計画されたが昭和31年(1956)頃はアーチダム全盛時代だったそうでダム地点の基礎岩盤が堅固であることにより工事費削減の観点から湯田ダムもアーチ式の検討を始めたが鉱床帯や断層の存在によって岩盤が比較的堅固ではないことが判明し洪水時の水圧や地震に対する耐久性を強化するため最終的に「重力式アーチダム」なった。
着工から12年後の昭和40年(1965)に完成、構想発表からは実に27年を費やしての完成だった。ちなみにこのダムの形式は全国で12基しか存在しないそうです。
この大ダムが完成するかげには人口3200人の622世帯に及ぶ集団移転、さらに鉱業権24件、漁業権1件、水没発電所の水没補償等があり、公共補償として3ヶ所の駅の移転をともなう延長15kmの鉄道付替があり、延長13.3kmの国道付替、延長26.3kmの県村道の付替工事、60.5kmの送配電と電話線の付替工事があったそうです。また、15名の工事殉職者がいるそうです。私たちが便利に生活できるのも多大な関係者の方の犠牲の上で成り立っているのです。
ますます、感謝して自分なりに大切にしたいなと思う。私は岩手県に住んでるわけではないけれどどこかでこのダムの恩恵を受けていると思うし。
では、湯田ダムに向かいましょう。
前回の湯田貯砂ダムの最寄駅、ほっとゆだ駅から二駅目の和賀仙人駅に到着。
ちょっと時間が押している...湯田ダムに着くのが精一杯かも...

この駅は湯田ダム建設によりルートを変更して現在地になり平成11年に駅舎がリニューアルされたそうです。

駅前にあった廃自販機♪ 蔦がからんでデザインもかわいい~!

この地は仙人が棲んでいたという伝説があるらしく、まわりを見渡せば本当に棲んでいそうな背の高い山々が目の前に迫ってくる...
どんな道を歩くのか...歩道はあるのかとかすごく不安になってきた...^^;

廃墟だと思われる工場がありました。

途中、和賀仙人橋の旧橋があったけど帰りに撮ろう...
よかった!草が生えてるけど狭いけど歩道はありそうだ!
でも恐い!なんか恐い!雰囲気が!やっぱり戻りたい...でもせっかく来たのにの押し問答(笑)
この時の精神状態はヤバいです。書いてる今も心臓が痛くなってきた...ここを独りで歩いた人しか分からないと思いますが...
まわりは青森県では見ないような壁の様な山々に四方囲まれた峡谷にある二車線の道路なのに車の往来の結構激しいこと!それがとても恐かった。歩道は狭いし、草刈られてないし。もっと、広くして歩きやすいようにしてくれたらってこんなとこ歩く人稀か...
和賀仙人スノーシェルター...あー長そうだな...

こんなとこ歩いてごめんね。

結構勾配があって写真も斜め

二個目の真っ赤なスノーシェルター 上に草生えてる!


岩盤が飛び出してる!

三個目。蛇の死骸があってびっくりした。
途中歩道がない所があって心が折れそうになった。もう、着きたいよ。
なんで来ちゃったんだろう...虚しくなってきた。

と、自分に冷めざめしている間にドーンと湯田ダムに会えました!
見た瞬間テンションあがる♪ でも、時間ないし帰り暗くなって電車時間逃したらそれこそ恐怖!なので急いで見ました。

初めてみる憧れのアーチダム!でも、こんな大きいダムみたの初めてだからかっこいいっていうかちょっと怖いと思ってしまったのが正直な感想。
【湯田ダム概要】
堤高:89.5m
堤頂長:265.0m
流域面積:583.0km
湛水面積:630.0ha
総貯水容量:114,160,000m
ダム湖:錦秋湖

クレストには緑色の6門のラジアルゲート。

減勢工はスキージャンプ方式でここからの放流は凄まじいんだろうけど放流することはめったにないんだろうな...

後悔メモ①大好きな天端歩きたかった。

常用洪水吐のコンジットゲート しーんと静かでした...

船から見た湯田ダム堰き止めてます感が凄いんだろうな。

湯田ダム案内板

手前に見える建物が「きんしゅう湖ものしり館」で中でめずらしい非常用洪水吐のクレスト部からの放流の写真が見れるそうです。
後悔メモ②きんしゅう湖ものしり館見れなかった。
後悔メモ③ダムカード貰わなかった。

あーこのカーブがいい。


ダムの管理階段も好き。

これでもう戻らないと...いくつかの後悔を残しながら!かなりの不完全燃焼!

ていうか、もうあそこ歩きたくない...うす暗くなってきたし...
帰りは無心で尋常ではない足の速さで戻った(笑)もう、絶対一人でここを歩くことは二度とないでしょう(笑)

帰りに撮ろうと思っていた和賀仙人橋の旧橋撮りたかったのにそこに市の職員の方が立って私をじーと見ていたので撮れなくてもぅ!ほんとここイヤ!と思ってしまった。
ていうか、私が通りすぎるまでずーと見てましたけど、通報でもされたのだろうか...通りすぎたあと車に乗って行ったけど...一人女が下向いて歩いて自殺するんじゃないかとか!?ですかね。もぅ、歩きませんよーだ!
絶対絶対今度は車で来るんだ!この日もう一つ見たかった仙人隧道見れなかったし...他には鉱山跡とか美しい廃墟、旧和賀川発電所とかまだまだたくさんの遺構があるから何回でも来なきゃなぁ。
でも、その時は一人はやめよう...
駅前にあった1992年に閉校した廃校、仙人小学校。時間さえあれば...あーーー!この不完全燃焼感すごい

この校歌が深いこの地をよく表していると思った。

無事に駅舎に戻れてよかった。家に帰れる♪
恐怖から解放されたあと駅舎で飲んだエナジージムの味忘れないよ。おわり

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あっ、ゆらゆら帝国じゃなくてゆらゆら湯田ダムの動画でよかったら見てね☆
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では、今日は前回紹介した湯田貯砂ダムのあとに行った湯田ダムをご紹介しますね。
湯田ダムは岩手県の西和賀町にあります。国土交通省東北地方整備局が管理する特定多目的ダムで洪水調節と和賀川下流沿岸の農業用水の供給と発電最大出力5万3100kW、年間発生電力量2.3億kWhを生むダムであります。
戦時中は戦力増強と北上川の治水を目的に計画されたが戦後敗戦よりの立ち上がり時に洪水にたたかれた岩手南部の災害防除と国土開発ムードにより、北上特定地域の基幹事業として強力に推進されることになり、北上特定地域総合開発計画(KVA)に指定され、すでに胆沢川の石淵ダム!がほぼ完成し、猿ヶ石川の田瀬ダムが建設の最盛期を迎えていた昭和28年(1953)に北上川五大ダムの三番手として着工された。
ダムは当初は重力式コンクリートダムとして計画されたが昭和31年(1956)頃はアーチダム全盛時代だったそうでダム地点の基礎岩盤が堅固であることにより工事費削減の観点から湯田ダムもアーチ式の検討を始めたが鉱床帯や断層の存在によって岩盤が比較的堅固ではないことが判明し洪水時の水圧や地震に対する耐久性を強化するため最終的に「重力式アーチダム」なった。
着工から12年後の昭和40年(1965)に完成、構想発表からは実に27年を費やしての完成だった。ちなみにこのダムの形式は全国で12基しか存在しないそうです。
この大ダムが完成するかげには人口3200人の622世帯に及ぶ集団移転、さらに鉱業権24件、漁業権1件、水没発電所の水没補償等があり、公共補償として3ヶ所の駅の移転をともなう延長15kmの鉄道付替があり、延長13.3kmの国道付替、延長26.3kmの県村道の付替工事、60.5kmの送配電と電話線の付替工事があったそうです。また、15名の工事殉職者がいるそうです。私たちが便利に生活できるのも多大な関係者の方の犠牲の上で成り立っているのです。
ますます、感謝して自分なりに大切にしたいなと思う。私は岩手県に住んでるわけではないけれどどこかでこのダムの恩恵を受けていると思うし。
では、湯田ダムに向かいましょう。
前回の湯田貯砂ダムの最寄駅、ほっとゆだ駅から二駅目の和賀仙人駅に到着。
ちょっと時間が押している...湯田ダムに着くのが精一杯かも...

この駅は湯田ダム建設によりルートを変更して現在地になり平成11年に駅舎がリニューアルされたそうです。

駅前にあった廃自販機♪ 蔦がからんでデザインもかわいい~!

この地は仙人が棲んでいたという伝説があるらしく、まわりを見渡せば本当に棲んでいそうな背の高い山々が目の前に迫ってくる...
どんな道を歩くのか...歩道はあるのかとかすごく不安になってきた...^^;

廃墟だと思われる工場がありました。

途中、和賀仙人橋の旧橋があったけど帰りに撮ろう...
よかった!草が生えてるけど狭いけど歩道はありそうだ!
でも恐い!なんか恐い!雰囲気が!やっぱり戻りたい...でもせっかく来たのにの押し問答(笑)
この時の精神状態はヤバいです。書いてる今も心臓が痛くなってきた...ここを独りで歩いた人しか分からないと思いますが...
まわりは青森県では見ないような壁の様な山々に四方囲まれた峡谷にある二車線の道路なのに車の往来の結構激しいこと!それがとても恐かった。歩道は狭いし、草刈られてないし。もっと、広くして歩きやすいようにしてくれたらってこんなとこ歩く人稀か...
和賀仙人スノーシェルター...あー長そうだな...

こんなとこ歩いてごめんね。

結構勾配があって写真も斜め

二個目の真っ赤なスノーシェルター 上に草生えてる!


岩盤が飛び出してる!

三個目。蛇の死骸があってびっくりした。
途中歩道がない所があって心が折れそうになった。もう、着きたいよ。
なんで来ちゃったんだろう...虚しくなってきた。

と、自分に冷めざめしている間にドーンと湯田ダムに会えました!
見た瞬間テンションあがる♪ でも、時間ないし帰り暗くなって電車時間逃したらそれこそ恐怖!なので急いで見ました。

初めてみる憧れのアーチダム!でも、こんな大きいダムみたの初めてだからかっこいいっていうかちょっと怖いと思ってしまったのが正直な感想。
【湯田ダム概要】
堤高:89.5m
堤頂長:265.0m
流域面積:583.0km
湛水面積:630.0ha
総貯水容量:114,160,000m
ダム湖:錦秋湖

クレストには緑色の6門のラジアルゲート。

減勢工はスキージャンプ方式でここからの放流は凄まじいんだろうけど放流することはめったにないんだろうな...

後悔メモ①大好きな天端歩きたかった。

常用洪水吐のコンジットゲート しーんと静かでした...

船から見た湯田ダム堰き止めてます感が凄いんだろうな。

湯田ダム案内板

手前に見える建物が「きんしゅう湖ものしり館」で中でめずらしい非常用洪水吐のクレスト部からの放流の写真が見れるそうです。
後悔メモ②きんしゅう湖ものしり館見れなかった。
後悔メモ③ダムカード貰わなかった。

あーこのカーブがいい。


ダムの管理階段も好き。

これでもう戻らないと...いくつかの後悔を残しながら!かなりの不完全燃焼!

ていうか、もうあそこ歩きたくない...うす暗くなってきたし...
帰りは無心で尋常ではない足の速さで戻った(笑)もう、絶対一人でここを歩くことは二度とないでしょう(笑)

帰りに撮ろうと思っていた和賀仙人橋の旧橋撮りたかったのにそこに市の職員の方が立って私をじーと見ていたので撮れなくてもぅ!ほんとここイヤ!と思ってしまった。
ていうか、私が通りすぎるまでずーと見てましたけど、通報でもされたのだろうか...通りすぎたあと車に乗って行ったけど...一人女が下向いて歩いて自殺するんじゃないかとか!?ですかね。もぅ、歩きませんよーだ!
絶対絶対今度は車で来るんだ!この日もう一つ見たかった仙人隧道見れなかったし...他には鉱山跡とか美しい廃墟、旧和賀川発電所とかまだまだたくさんの遺構があるから何回でも来なきゃなぁ。
でも、その時は一人はやめよう...
駅前にあった1992年に閉校した廃校、仙人小学校。時間さえあれば...あーーー!この不完全燃焼感すごい

この校歌が深いこの地をよく表していると思った。

無事に駅舎に戻れてよかった。家に帰れる♪
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湯田貯砂ダム
今日は去年行った湯田貯砂ダムをご紹介。
岩手県の西和賀町川尻にあります。ここは「ザ・ダム放流」というDVDを見て絶対行きたいと思っていた場所でした。なんで、そう思ったかというとなんと!ダム内部通路を通れるめずらしいダムなのです!
私には憧れの砂防ダムがあって岐阜県にある鷲巣谷第一砂防ダムが内部を通れるのですがなんせ青森からはかなり遠い未知の世界!当時夢に出たり妄想したり大変でした。(笑)
ある時同じく内部を通れるダムが青森県のお隣岩手県にあるのを見つけ(好みは鷲巣谷第一砂防ダムなのですが...)去年やっと行けたのです。
北上駅からこのかわいいワンマン電車に乗ってほっとゆだ駅に向かいます。

ほっとゆだ駅到着!(面白い名前です。)ここは駅舎内に温泉があるみたいです。びっくり!でも、温泉にはあまり興味はないのでスルーです。

錦秋湖!暑い!早くダムで涼みたい。

北上線の鉄道橋。錦秋湖を走る電車からの眺めが忘れられません。背の高い山々をぬって走り錦秋湖付近などたくさんの遺構があるそうで興奮する眺めがいっぱいでした。

この国道107号から右の道を行った錦秋湖川尻総合公園内にあります。

楽しみーーー!!

ここはあやめ園らしいです。

行く前に...この湯田貯砂ダムは和賀川上流域の山地崩壊によってダム湖内に流入する土砂が堆砂し、貯水容量が減少するのを防ぎダム効用の長期化を目的に湯田ダム(重力式アーチダム)上流側に建設されました。
平成14年10月に完成し、毎年7月から10月(午前9時~午後4時30分)に通路を開放しているそうです。
普通一般的には通行できないダム内部ですが公園内にハイキング、サイクリングのコースがあるためこれらとの整合性を図るためダム内部をくり抜いて通路としたそうです。
ではでは、行きますか~!
ギャー!来たーーー!!DVDと同じーーー(>_<)←当たり前

豪快に放流しております。あーーいい音だーーー

いよいよ待ちに待った内部へ♪


あー嬉しい!すごい轟音!

す、すずしーーー\(^o^)/まさしく水のカーテン!これが見たかった!

皆さんにも水のしぶきを

特に暑い夏は行きたくなりませんか!?

パノラマー

右岸側。流木が...(笑)このような構造にしてくれてありがとう(笑)

右岸側からの撮影。いやーここから動きたくない(笑)

流れるような放流素敵です。

また、戻ります。

教会みたい♪

魚道がありました!魚道…ダムをつくると川がせき止められて魚が遡上できなくなるのを防ぐもの

次は橋の上から愛でます。

湯田貯砂ダム全景

あーっぷ!さっきまであの中を歩いてたんだなぁ...
眺めながら食べたサンドウィッチおいしかったな...また行きたいな...

公園内の旧道にあった朽ちた看板。展望所があるようです。

草がボウボウ生えてる展望所でした^^; 遠くに秋田自動車道の橋とさっきの鉄道橋が見えます。
ここには国鉄横黒線時代の隧道があるのですが草刈りのおじさんに見られていたので諦めました...結構ショック^^;
今はどうなっているのかわからないけど次こそは!です。

次行くところがありお別れです...またね!


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岩手県の西和賀町川尻にあります。ここは「ザ・ダム放流」というDVDを見て絶対行きたいと思っていた場所でした。なんで、そう思ったかというとなんと!ダム内部通路を通れるめずらしいダムなのです!
私には憧れの砂防ダムがあって岐阜県にある鷲巣谷第一砂防ダムが内部を通れるのですがなんせ青森からはかなり遠い未知の世界!当時夢に出たり妄想したり大変でした。(笑)
ある時同じく内部を通れるダムが青森県のお隣岩手県にあるのを見つけ(好みは鷲巣谷第一砂防ダムなのですが...)去年やっと行けたのです。
北上駅からこのかわいいワンマン電車に乗ってほっとゆだ駅に向かいます。

ほっとゆだ駅到着!(面白い名前です。)ここは駅舎内に温泉があるみたいです。びっくり!でも、温泉にはあまり興味はないのでスルーです。

錦秋湖!暑い!早くダムで涼みたい。

北上線の鉄道橋。錦秋湖を走る電車からの眺めが忘れられません。背の高い山々をぬって走り錦秋湖付近などたくさんの遺構があるそうで興奮する眺めがいっぱいでした。

この国道107号から右の道を行った錦秋湖川尻総合公園内にあります。

楽しみーーー!!

ここはあやめ園らしいです。

行く前に...この湯田貯砂ダムは和賀川上流域の山地崩壊によってダム湖内に流入する土砂が堆砂し、貯水容量が減少するのを防ぎダム効用の長期化を目的に湯田ダム(重力式アーチダム)上流側に建設されました。
平成14年10月に完成し、毎年7月から10月(午前9時~午後4時30分)に通路を開放しているそうです。
普通一般的には通行できないダム内部ですが公園内にハイキング、サイクリングのコースがあるためこれらとの整合性を図るためダム内部をくり抜いて通路としたそうです。
ではでは、行きますか~!
ギャー!来たーーー!!DVDと同じーーー(>_<)←当たり前

豪快に放流しております。あーーいい音だーーー

いよいよ待ちに待った内部へ♪


あー嬉しい!すごい轟音!

す、すずしーーー\(^o^)/まさしく水のカーテン!これが見たかった!

皆さんにも水のしぶきを

特に暑い夏は行きたくなりませんか!?

パノラマー

右岸側。流木が...(笑)このような構造にしてくれてありがとう(笑)

右岸側からの撮影。いやーここから動きたくない(笑)

流れるような放流素敵です。

また、戻ります。

教会みたい♪

魚道がありました!魚道…ダムをつくると川がせき止められて魚が遡上できなくなるのを防ぐもの

次は橋の上から愛でます。

湯田貯砂ダム全景

あーっぷ!さっきまであの中を歩いてたんだなぁ...
眺めながら食べたサンドウィッチおいしかったな...また行きたいな...

公園内の旧道にあった朽ちた看板。展望所があるようです。

草がボウボウ生えてる展望所でした^^; 遠くに秋田自動車道の橋とさっきの鉄道橋が見えます。
ここには国鉄横黒線時代の隧道があるのですが草刈りのおじさんに見られていたので諦めました...結構ショック^^;
今はどうなっているのかわからないけど次こそは!です。

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今は湖底に...石淵ダムと猿岩隧道(前編)
今は記憶の中の石淵ダムに逢いに行ったのは2012.9.23である。この数日前の新聞のめんこいテレビ(岩手の放送局だが八戸市は岩手に近いので見ることができる。)のニュースタイトルの〝ありがとう、石淵ダム〟に目が離せなくなった。その日のニュースは仕事で見ることはできなかったが、朝からそれで頭がいっぱいになり、検索したらあの有名な胆沢ダムの湖底に沈むの!?しかも、日本で初めて造られたロックフィルダムだってー!!それに円筒分水(時間がなく行けなかった)!それと、それと何々!?林鉄遺構の猿岩隧道(延長696m!長っ)があるなんて!!と私を興奮させる情報満載でしかも9月いっぱいで役目を終えるということは今行かないと後悔すると思い決行した。
石淵ダムは岩手県奥州市胆沢区にあるダムである。

まず八戸駅6:18に出発して盛岡行に乗り7:58着、そこからまた8:08水沢行きに乗り9:11水沢駅に着いた。

そして、そこから水沢駅前のバス亭から馬留線ひめかゆスキー場行きのバスに乗り

10:10ひめかゆスキー場に到着。胆沢ダムの工事看板がいっぱいある中

石淵ダムの看板あったー!早く逢いたい。

ん?くまさん?ここらへん色んな所で熊出没注意の看板あったな汗

胆沢ダム学習館。ここでこの時はまだ石淵ダムのダムカードもらえたのだけれど帰り寄ろうとしたけど時間がなさそうなのであきらめた。貰う時間はあっただろうけど帰り激しい雨になって濡れたまま女一人が入っていつたら怖がられそうなのでやめた。じわじわ後悔してる。

おっ!のっぺりとした一反木綿のような胆沢ダムが見えてきた。大きいなー。目の前には石淵ダムの看板があってこのダムが石淵ダムみたい。苦笑

このダムの放流迫力あるんだろうな。

この日は日曜日だったが一部で工事が行なわれていた。例の場所工事してたらどうしよ汗 重機がすごく小さく見えてミニチュアみたい。


胆沢ダムの今はダム本体、管理設備が完成し去年の2012.12月から試験湛水を開始している。来年2014.3月完成するらしい。今は試験湛水真っ只中で今月6日に貯水位最高水位に達した。
ダム形式:ロックフィルダム
ダム高:132,0m
堤頂長:723,0m
総貯水容量:143,0004㎥
なんと総貯水容量は今から見に行く石淵ダムの約9倍!!だそう。おそろしい。
望み大橋を通り、目の前に見えるひめかゆ橋を通って

望み大橋と胆沢ダム

二つ目の焼石トンネル出口から石淵ダムの看板がみえます。

この三つ目の石渕トンネルを抜けた左側の道(ロープが通せんぼしていた。)を入ると...

可愛い子(排水塔)が見えてきました。

石渕トンネルから抜けた所で前に車がとまって恐かった。こうゆう所歩いてて、車が前でとまるとなんとなく恐いよね。幸い?その車の横通る前の道入らなきゃいけなかったからよかったけど。

ワクワク、ドキドキ

耳を澄ませてみるとこちら側は重機や工事の音は聞こえなかった。ホッ
逢いたい一心で忍者のように歩く。ササッ

逢えたー!!感動で泣いてしまった。

もっと近くに行きたい。触れたい。


私来てしまったんだ。


それでは、今は湖底へ沈む前の約60年頑張ってくれた石淵ダムをご覧ください。




向こうに胆沢ダムが見えます。




この子に逢いたかった。完成後ほとんど供用されなかった排水塔だが素敵なオブジェ?石淵ダムのシンボルといえるのではないかな。上に網張ってコンクリートがボロボロになっているのは地震の影響らしい。(石淵ダムは今まで二度の大震災を耐え抜いている。)






取水塔。ピンクでかわいい。



悲しい看板。今はあの素敵な排水塔も取水塔もゲートも跡形もなくなりコンクリートの塊となってしまった。
右岸側(ダム本体にもっと近づく)行くにはここを通らなきゃ行けないのか。どうするムー?

ササッ 来ちゃった。

ちょっと崩れてるのも地震の影響。
とっても頬ずりしたかったけど止めておいた。笑
そのかわり手で触れてみた。暖かかった。撫でながらお疲れ様でした。今までありがとう。といって一礼した。おうよって答えてくれた気がした。

石淵ダムは高さ53メートルのダムで日本で最初に施工されたロックフィルダムである。コンクリートで上流部の水を遮る日本では5基しか存在しないコンクリートフェイシングフィルダムの一つだった。
終戦を迎え日本は極度な食糧不足に陥り、食糧増産が喫緊の課題となった政府は河川開発に関して灌漑施拡充による食糧増産を目論見、北上流域は江戸時代より一大穀倉地帯として稲作が盛んであったが北上川本流は松尾鉱山により流出する強酸性の坑内水により河水の酸性度が高く、農業用水には不適当であった。このため支流の河川を開発して灌漑用水を整備して農地拡大を図り食糧を増産する方針が採られ、1945年より国営事業として山王海ダムの建設が紫波郡で開始された。一方治水に重点を置いていた北上川上流改修事業についても灌漑整備優先の観点から、広大な胆沢扇状地を流域に持つ胆沢川の河川開発が注目されるようになり、以上の経緯により戦前より着手されていた田瀬ダムの建設を中断(太平洋戦争の激化により資材確保がままならなくなった)したまま胆沢川上流の多目的ダムが優先的に着手された。これが石淵ダムであり胆沢郡若柳村において1945年より建設が開始された。
それに伴い13世帯が移転を余儀なくされたが、食糧難解決という差し迫った国情が背景にあった中、工事を開始してから住民への補償交渉を開始するという状態であり、建設省の態度は移転交渉というよりは立ち退き要求に近いものがあった。ダム建設開始当時は日本国憲法の制定前であり、生存権など基本的人権はまだ浸透していなかった。さらに移転後の住民に対する生活再建対策も放置され、結果的にわずかな補償金しか受け取れなかった移転住民は失業の上困窮した生活を強いられ全財産を喪失した住民も現れた。最終的に再補償も認められなかった。住民がこういう辛い思いしてできたダムをなくしてさらに大きいダムを作らなきゃいけなかったんだろうか。
当時は重力式コンクリートダムとして計画されていたが、戦後の特殊な事情(セメントは進駐軍用あるいは戦災復興用の資材として優先利用されていたため。)によってロックフィルダムの場合は日本では施工例がなかったものの、ダム付近の地質が風化に乏しい良質な石英安山岩で、かつ発破により大量の岩石が採取可能であったことからセメント量と輸送コストの節減が期待され1946年より日本初のロックフィルダム施工が開始された。
まず、ダムサイト直上流部にある猿岩が堤体の材料となる原石山に選定され、これを火薬で爆破して岩石を採取しダム本体工事現場まで輸送。本体予定地に建設した橋の上より岩石を投下して、これを高圧水で締め固めてダム本体を盛りたてる工法である。昼夜兼行、厳寒の冬季にも作業が行なわれ、戦後の混乱期の事業であったことから資材や建設機械の不足、さらには労働力の不足に絶えず悩まされた。また、労務者の安全管理に乏しい時代で、頭部保護の保安帽を着用する労務者はなく作業着すら統一されていなかった。
さらには労働力不足を補うため服役囚が工事に従事する状況で厳しい環境の中で労務者はどぶろくを飲んだりし鋭気を養ったが、酒のつまみに死んだウサギを調理して食べた職員が野兎病に罹患するなどのハプニングもあった。こうした厳しい労務環境の中で述べ181万人の労務者が建設に従事し、1953年6月9日にダム本体は完成した。ダム着工から8年の歳月を要した。
幾多の困難があったがその後、慢性的な水不足から解放され安定した水供給が可能となり、水争いが根絶された胆沢扇状地の受益住民は報恩の意味を込め「胆沢平野小唄」という小唄の一節に石淵ダムの名を入れている。
照ればかんばつ 曇れば出水 それも昔の語り草 見れや自慢の 石淵ダムは 伸びる胆沢の 底力
本当は9月いっぱいで役割を終える予定で10月1日には胆沢ダムとの引き継ぎ式が行われる予定だったが、なんとその日に台風17号が襲来し石淵ダムに過去5番目の大雨の流入があり、管理終了予定を延長して10月2日まで洪水調節を行ったという。これを打っている間も胸がいっぱいになり泣けてくる。最後の最後までなんてかっこいいおじいちゃんなんだ。
これで石淵ダム本来の役割は終えたが今後は堤体本体はそのまま残り、湖底の土砂が下流に流れ込むのを防ぐ「貯砂ダム」として新たな役割を担うことになるそうだ。じゃあ、渇水期には石淵ダムに逢えるのかな。その時にはまた行きたいと思う。本当に本当に逢いに行ってよかった。石淵ダム、ありがとう!!
後編はまたまた可愛いこの子です。ふふっ


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石淵ダム動画アルヨ
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石淵ダムは岩手県奥州市胆沢区にあるダムである。

まず八戸駅6:18に出発して盛岡行に乗り7:58着、そこからまた8:08水沢行きに乗り9:11水沢駅に着いた。

そして、そこから水沢駅前のバス亭から馬留線ひめかゆスキー場行きのバスに乗り

10:10ひめかゆスキー場に到着。胆沢ダムの工事看板がいっぱいある中

石淵ダムの看板あったー!早く逢いたい。

ん?くまさん?ここらへん色んな所で熊出没注意の看板あったな汗

胆沢ダム学習館。ここでこの時はまだ石淵ダムのダムカードもらえたのだけれど帰り寄ろうとしたけど時間がなさそうなのであきらめた。貰う時間はあっただろうけど帰り激しい雨になって濡れたまま女一人が入っていつたら怖がられそうなのでやめた。じわじわ後悔してる。

おっ!のっぺりとした一反木綿のような胆沢ダムが見えてきた。大きいなー。目の前には石淵ダムの看板があってこのダムが石淵ダムみたい。苦笑

このダムの放流迫力あるんだろうな。

この日は日曜日だったが一部で工事が行なわれていた。例の場所工事してたらどうしよ汗 重機がすごく小さく見えてミニチュアみたい。


胆沢ダムの今はダム本体、管理設備が完成し去年の2012.12月から試験湛水を開始している。来年2014.3月完成するらしい。今は試験湛水真っ只中で今月6日に貯水位最高水位に達した。
ダム形式:ロックフィルダム
ダム高:132,0m
堤頂長:723,0m
総貯水容量:143,0004㎥
なんと総貯水容量は今から見に行く石淵ダムの約9倍!!だそう。おそろしい。
望み大橋を通り、目の前に見えるひめかゆ橋を通って

望み大橋と胆沢ダム

二つ目の焼石トンネル出口から石淵ダムの看板がみえます。

この三つ目の石渕トンネルを抜けた左側の道(ロープが通せんぼしていた。)を入ると...

可愛い子(排水塔)が見えてきました。

石渕トンネルから抜けた所で前に車がとまって恐かった。こうゆう所歩いてて、車が前でとまるとなんとなく恐いよね。幸い?その車の横通る前の道入らなきゃいけなかったからよかったけど。

ワクワク、ドキドキ

耳を澄ませてみるとこちら側は重機や工事の音は聞こえなかった。ホッ
逢いたい一心で忍者のように歩く。ササッ

逢えたー!!感動で泣いてしまった。

もっと近くに行きたい。触れたい。


私来てしまったんだ。


それでは、今は湖底へ沈む前の約60年頑張ってくれた石淵ダムをご覧ください。




向こうに胆沢ダムが見えます。




この子に逢いたかった。完成後ほとんど供用されなかった排水塔だが素敵なオブジェ?石淵ダムのシンボルといえるのではないかな。上に網張ってコンクリートがボロボロになっているのは地震の影響らしい。(石淵ダムは今まで二度の大震災を耐え抜いている。)






取水塔。ピンクでかわいい。



悲しい看板。今はあの素敵な排水塔も取水塔もゲートも跡形もなくなりコンクリートの塊となってしまった。
右岸側(ダム本体にもっと近づく)行くにはここを通らなきゃ行けないのか。どうするムー?

ササッ 来ちゃった。

ちょっと崩れてるのも地震の影響。
とっても頬ずりしたかったけど止めておいた。笑
そのかわり手で触れてみた。暖かかった。撫でながらお疲れ様でした。今までありがとう。といって一礼した。おうよって答えてくれた気がした。

石淵ダムは高さ53メートルのダムで日本で最初に施工されたロックフィルダムである。コンクリートで上流部の水を遮る日本では5基しか存在しないコンクリートフェイシングフィルダムの一つだった。
終戦を迎え日本は極度な食糧不足に陥り、食糧増産が喫緊の課題となった政府は河川開発に関して灌漑施拡充による食糧増産を目論見、北上流域は江戸時代より一大穀倉地帯として稲作が盛んであったが北上川本流は松尾鉱山により流出する強酸性の坑内水により河水の酸性度が高く、農業用水には不適当であった。このため支流の河川を開発して灌漑用水を整備して農地拡大を図り食糧を増産する方針が採られ、1945年より国営事業として山王海ダムの建設が紫波郡で開始された。一方治水に重点を置いていた北上川上流改修事業についても灌漑整備優先の観点から、広大な胆沢扇状地を流域に持つ胆沢川の河川開発が注目されるようになり、以上の経緯により戦前より着手されていた田瀬ダムの建設を中断(太平洋戦争の激化により資材確保がままならなくなった)したまま胆沢川上流の多目的ダムが優先的に着手された。これが石淵ダムであり胆沢郡若柳村において1945年より建設が開始された。
それに伴い13世帯が移転を余儀なくされたが、食糧難解決という差し迫った国情が背景にあった中、工事を開始してから住民への補償交渉を開始するという状態であり、建設省の態度は移転交渉というよりは立ち退き要求に近いものがあった。ダム建設開始当時は日本国憲法の制定前であり、生存権など基本的人権はまだ浸透していなかった。さらに移転後の住民に対する生活再建対策も放置され、結果的にわずかな補償金しか受け取れなかった移転住民は失業の上困窮した生活を強いられ全財産を喪失した住民も現れた。最終的に再補償も認められなかった。住民がこういう辛い思いしてできたダムをなくしてさらに大きいダムを作らなきゃいけなかったんだろうか。
当時は重力式コンクリートダムとして計画されていたが、戦後の特殊な事情(セメントは進駐軍用あるいは戦災復興用の資材として優先利用されていたため。)によってロックフィルダムの場合は日本では施工例がなかったものの、ダム付近の地質が風化に乏しい良質な石英安山岩で、かつ発破により大量の岩石が採取可能であったことからセメント量と輸送コストの節減が期待され1946年より日本初のロックフィルダム施工が開始された。
まず、ダムサイト直上流部にある猿岩が堤体の材料となる原石山に選定され、これを火薬で爆破して岩石を採取しダム本体工事現場まで輸送。本体予定地に建設した橋の上より岩石を投下して、これを高圧水で締め固めてダム本体を盛りたてる工法である。昼夜兼行、厳寒の冬季にも作業が行なわれ、戦後の混乱期の事業であったことから資材や建設機械の不足、さらには労働力の不足に絶えず悩まされた。また、労務者の安全管理に乏しい時代で、頭部保護の保安帽を着用する労務者はなく作業着すら統一されていなかった。
さらには労働力不足を補うため服役囚が工事に従事する状況で厳しい環境の中で労務者はどぶろくを飲んだりし鋭気を養ったが、酒のつまみに死んだウサギを調理して食べた職員が野兎病に罹患するなどのハプニングもあった。こうした厳しい労務環境の中で述べ181万人の労務者が建設に従事し、1953年6月9日にダム本体は完成した。ダム着工から8年の歳月を要した。
幾多の困難があったがその後、慢性的な水不足から解放され安定した水供給が可能となり、水争いが根絶された胆沢扇状地の受益住民は報恩の意味を込め「胆沢平野小唄」という小唄の一節に石淵ダムの名を入れている。
照ればかんばつ 曇れば出水 それも昔の語り草 見れや自慢の 石淵ダムは 伸びる胆沢の 底力
本当は9月いっぱいで役割を終える予定で10月1日には胆沢ダムとの引き継ぎ式が行われる予定だったが、なんとその日に台風17号が襲来し石淵ダムに過去5番目の大雨の流入があり、管理終了予定を延長して10月2日まで洪水調節を行ったという。これを打っている間も胸がいっぱいになり泣けてくる。最後の最後までなんてかっこいいおじいちゃんなんだ。
これで石淵ダム本来の役割は終えたが今後は堤体本体はそのまま残り、湖底の土砂が下流に流れ込むのを防ぐ「貯砂ダム」として新たな役割を担うことになるそうだ。じゃあ、渇水期には石淵ダムに逢えるのかな。その時にはまた行きたいと思う。本当に本当に逢いに行ってよかった。石淵ダム、ありがとう!!
後編はまたまた可愛いこの子です。ふふっ


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やっぱり最初は大切な世増ダムから
ということで私の大切な愛しいダムをご紹介。
世増ダムは八戸市南郷区にあり、新井田川の氾濫防止・農業用地の灌漑・水道用水の確保のため、昭和40年に建設計画が持ち上がり幾多の曲折をたどり平成10年に着工、平成15年10月完成した。水を張るダムの堪水区域は180ヘクタールに及ぶため当時の南郷村(現八戸市南郷区)の世増地区、畑内地区、隣の岩手県軽米町の水吉地区の3つの集落が湖底へと沈み、71戸の家屋が移転している。世増は平家の伝説や神事的伝説など歴史、昔話の宝庫らしく、畑内地区には、畑内遺跡という縄文時代中期・後期の遺跡、遺物がダム建設に伴い発掘、発見された。その量は段ボールで5千箱近くに及んだという。う~ん、深い...
そして、世界で初めて、コンクリート自動運搬システム(軌索式ケーブルクレーンを使用したダム用コンクリートの運搬をコンピュータ制御により製造から打設箇所への放出までを完全自動化)を開発・実用化したという。スゴッ
では、ダム概要...
形式 重力式コンクリートダム
ダム湖名 青葉湖
ダムの高さ52m
総貯水量3,650万トン
ダムの長さ247m
有効貯水量3,310万トン
ダムの体積22万立法m
取水施設形式 堤体設置型直線多段式ゲート
放流施設形式 ジェットフローゲート
それでは、世増ダムへ向かいましょう。あっ、その前に向かう途中にあるかっこいい場所。


採石場です。てっぺんにショベルカーがっ!
もうちょっと進むと旧島守発電所(青森県最古の水力発電所)がありこちらもいつか紹介したいと思います。
見えてきたっ(時系列バラバラでごめんなさい)

新緑の季節の世増ダムが一番好き。青々とした緑と鳥のさえずりとむあっとした空気とそして放流、なのに閉ざされたような空間...たまらない 左岸側から

上流側

噴水(植物プランクトンの増殖を抑え、富栄養化現象を抑制する目的のもの)

お次はダムのなかで一番好きな所、天端。ここを歩いて...

右岸側。四兄弟かわいい。

下に降りてみました。


お次は上にある展望台に行きましょう。

あ~いい眺めです。なんでここが大切なダムかといいますと3年前に私が精神的に弱ってる時に母が連れてきてくれた場所で、世増ダムをみた瞬間心臓がドクドクして恋みたいなものでしかもその時放流してて一気に好き好き大好きになりまして。大好きな新緑の季節で。世増ダムから現在好きなものがどんどん増え、世界が広がる広がる 笑
精神的にも前に比べて良くなったと思うし、いつも母と世増ダムにありがとうって思ってる。
去年にはどうしても夜の世増ダム(何度も来てるが夜の世増ダムだけ知らない)に会いたくて、買ったばかりの折りたたみ自転車で深夜2時に必死こいてギトギトになりながら漕いだけど南郷の道の駅でギブアップ笑(出勤前の母に迎えに来てもらい失笑された笑)
だから、私の今の小さい夢はペーパードライバーを克服して世増ダムで車中泊して夜の世増ダムを見ながら、きゅうりとおにぎりを食べること。気持ちばかりあせるけど、頑張るぞー。

待ってるよだってーやったー
最後に紅葉と世増ダム

初めて、ブログやるから頭痛い...つづくかな汗

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世増ダムは八戸市南郷区にあり、新井田川の氾濫防止・農業用地の灌漑・水道用水の確保のため、昭和40年に建設計画が持ち上がり幾多の曲折をたどり平成10年に着工、平成15年10月完成した。水を張るダムの堪水区域は180ヘクタールに及ぶため当時の南郷村(現八戸市南郷区)の世増地区、畑内地区、隣の岩手県軽米町の水吉地区の3つの集落が湖底へと沈み、71戸の家屋が移転している。世増は平家の伝説や神事的伝説など歴史、昔話の宝庫らしく、畑内地区には、畑内遺跡という縄文時代中期・後期の遺跡、遺物がダム建設に伴い発掘、発見された。その量は段ボールで5千箱近くに及んだという。う~ん、深い...
そして、世界で初めて、コンクリート自動運搬システム(軌索式ケーブルクレーンを使用したダム用コンクリートの運搬をコンピュータ制御により製造から打設箇所への放出までを完全自動化)を開発・実用化したという。スゴッ
では、ダム概要...
形式 重力式コンクリートダム
ダム湖名 青葉湖
ダムの高さ52m
総貯水量3,650万トン
ダムの長さ247m
有効貯水量3,310万トン
ダムの体積22万立法m
取水施設形式 堤体設置型直線多段式ゲート
放流施設形式 ジェットフローゲート
それでは、世増ダムへ向かいましょう。あっ、その前に向かう途中にあるかっこいい場所。


採石場です。てっぺんにショベルカーがっ!
もうちょっと進むと旧島守発電所(青森県最古の水力発電所)がありこちらもいつか紹介したいと思います。
見えてきたっ(時系列バラバラでごめんなさい)

新緑の季節の世増ダムが一番好き。青々とした緑と鳥のさえずりとむあっとした空気とそして放流、なのに閉ざされたような空間...たまらない 左岸側から

上流側


噴水(植物プランクトンの増殖を抑え、富栄養化現象を抑制する目的のもの)

お次はダムのなかで一番好きな所、天端。ここを歩いて...

右岸側。四兄弟かわいい。

下に降りてみました。


お次は上にある展望台に行きましょう。

あ~いい眺めです。なんでここが大切なダムかといいますと3年前に私が精神的に弱ってる時に母が連れてきてくれた場所で、世増ダムをみた瞬間心臓がドクドクして恋みたいなものでしかもその時放流してて一気に好き好き大好きになりまして。大好きな新緑の季節で。世増ダムから現在好きなものがどんどん増え、世界が広がる広がる 笑
精神的にも前に比べて良くなったと思うし、いつも母と世増ダムにありがとうって思ってる。
去年にはどうしても夜の世増ダム(何度も来てるが夜の世増ダムだけ知らない)に会いたくて、買ったばかりの折りたたみ自転車で深夜2時に必死こいてギトギトになりながら漕いだけど南郷の道の駅でギブアップ笑(出勤前の母に迎えに来てもらい失笑された笑)
だから、私の今の小さい夢はペーパードライバーを克服して世増ダムで車中泊して夜の世増ダムを見ながら、きゅうりとおにぎりを食べること。気持ちばかりあせるけど、頑張るぞー。

待ってるよだってーやったー
最後に紅葉と世増ダム

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